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「神経」の働きや目的から見る、人の痛みや苦しみに関する創造者の意図を探る

「なぜ、人生には苦痛や苦悩がつきまとうのか」というような言葉を一度ならず聞いたことがあると思います。
そうした疑問に対してあなたなりの解答を見出されましたでしょうか。

あるいは「キリスト教」では、神を知らずに死んだ人は、永遠に地獄の苦しみに責め苛まれると教えています。

 ■「神経」に関する概要

さて、「精神的苦痛」という表現もありますが、ここは分かり安く、文字通りの物理的痛みについて扱ってゆこうと思います。
「痛み、苦しみ」を感じるのは何故ですか。それは言うまでもなく「神経」が通っているからです。

神経が麻痺すれば痛みは感じません。ものすごい外科手術でさえ、麻酔のお陰で、眠っている間に行われることが可能になります。
人が痛み、苦しみを感じ味わってしまうのは「神経」のせい、いやおかげなのです。

そういう訳で、体の各部が痛むと言っても、痛みそのものを「痛み」として感じているのは、各細胞から神経を通して伝わる情報を処理している「脳」なのです。

体の各部位は神経(神の経路)を通して常に繋がっているのです。
人体には60.兆個もの細胞がありますが、脳が把握していないものはありません。

この記事では、これらを少し専門的なことも含めて、様々な角度から考察してみたいと思います。
全体的な内容は、簡単に言うと「神経についてのあれこれ」ということになるでしょうか。

 ■「視神経」

まばたきというか、いきなり何か目のすぐそばで予期せぬことが起きた時、だれでも必ず、無意識に目を閉じます。
いわゆる「反射神経」というやつです。これが起きるのは、言うまでもなく眼球を保護するためです。

驚くべき視神経の働きの一つに「補色残像」と呼ばれているものがあります。
「補色」というのは「色相環」の180°反対側の色同士のことです。
下のリンクをクリックして色相環の画像を眺めて戻ってきてください。
色相環のリンク
赤に対して緑、オレンジに対して青、黄緑に対して紫、いずれの場合も、この2つの補色同士を混ぜ合わせると、色味がなくなりグレーになります。

さて、ここでちょっと、「視神経」の素晴らしい働きの実験をしてみましょうか。
下の動画を再生して、ネガになった画像の真ん中の「白い丸」を見つめ、視線を動かさずにいてください。
30秒経つと自動的に、モノクロ画像に変わりますので、それまで頑張ってください。

いかがでしたか、モノクロなのにカラー化した美味しそうなキャンデーが見えたと思います。
これが「補色残像」です。つまり、カラー画像に見えたのは、目が自分で補色である反対色を作って、そのフィルターをかけて色を見ていたので、そのフィルターの色が数秒残り、モノクロ画像に反映されたからにほかなりません。
これはつまり、色の刺激から眼を保護するために、グレー化しているということです。
ですから、本当の色を見るのは、実は最初の一瞬だけで、その後は落ち着いた色合いに変換する能力を目は持っているのです。
「神経」は人を保護するために働きます。

 ■「聴覚神経」

よくマンガなどで、静まりかえった場面の画面いっぱいに「シーン」という文字があるのを見たことがあると思います。
「シーン」というのは、ずーっと無音だった場合には聞こえません。ものすごい音量が、瞬時に静寂に包まれた時にのみ生じます。
つまり、騒音に対応して耳は自ら「シーン」を作り出しているのです。つまり、過剰な音の刺激を和らげようとしているわけですが、突如、音が鳴り止むと、その働きが僅かな時間残るために「シーン」と聞こえるということです。
「神経」は人を保護するために働きます。

 ■「痛みを伝える神経」

痛み/苦しみは、非常に複雑なシステムで惹き起こされます

組織の損傷が起こると発痛物質が作られます。その中には、ブラジキニン、セロトニン、ヒスタミン、アセチルコリンなどがありますが、その中で最強とされるのはブラジキニンです。それらが受容体に影響し、痛みの信号が神経を通して大脳皮質へ伝わり、痛みを感じます。

組織が損傷を受けた時、細胞膜にあるリン脂質はアラキドン酸に変わり、シクロオキシゲナーゼ(COX)の作用によってプロスタグランジンが生成されます。このプロスタグランジンの作用によって引き起こされる「痛み、熱、腫れ」などの症状が引き起こされる現象を炎症といいます。

一方、組織損傷時に血漿から遊離したブラジキニンは、知覚神経を興奮させることにより、痛みを発生させます。プロスタグランジンは、ブラジキニンによる発痛を増強させます。この様に疼痛は両者の関わりから起こります。

その痛み信号の強度は、損傷の度合いに比例しますが、痛みは、炎症の起きている場所を知らせ、強制的に、活動停止、静養、回復と導くために、創造者により与えられた恵みと言えます。

さてそのようにして大脳にまで届いた神経伝達物質は、次の神経にバトンタッチされます。この場所をシナプスといいます。

なぜ、痛みを感じるときに神経はシナプスでバトンタッチするのでしょうか?
それは、シナプスで痛みの調節をしているからです。
つまり「シナプス」において、そこでは痛みの伝わりを「抑制」する神経伝達物質を出して痛みを和らげるためです。

「痛み」は最大のストレスを惹き起こしますが、そのストレを緩和するホルモンとして知られている神経伝達抑制物質として、例えば、ノルアドレナリンやドーパミン、セロトニンなどがあります。

これについて、もう少しだけ触れておきましょう。
脳内には約1000億個の神経細胞があり、これらのホルモンは、1つひとつの神経細胞同士が情報をやりとりするときに必要な神経伝達物質としても働いています。

ノルアドレナリン:緊張や不安、集中、積極性をもたらし、ストレスに打ち勝とうとするときに働く。
ドーパミン:喜びや快楽、意欲をもたらす働きがある。
セロトニン:アドレナリンとドーパミンの2つが過剰になって暴走しないように、調節している。

こうした創造者の卓越した神経とその伝達の際の複雑な働きについて、全く無知な時代に作られた「地獄の教理」を、比喩で示されていることが明らかな聖書中の「火の池」やルカ16章の「炎の中で苦しんでいる」などの表記を、あろうことか現代なおも文字通りのこととして受け止め続け、地獄の責め苦を公然と教え続けるなど、キリスト教会の無知蒙昧にも程があろうと私は言いたい。

これら複雑なメカニズムの目的は、身体を保護することのにあります。
さてこれらの、「発痛物質」「神経伝達抑制物質ホルモン」のバランスを考えると、次の聖句が想起されます。

《あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。》1コリント10:13


 ■人体の神経システムと、神への祈りの関係

さて、こうして「神経」の働きやその目的を見て来ましたが、「発痛物質」を伝達する経路を「神経(神の経路)」と呼ぶのは興味深いことです。

この記事を記すに当たって、改めて、神経のシステムを学習しましたが、その際こんな考えが浮かびました。
丁度人体の各細胞が、脳に対して逐次情報を送り、脳はそれに呼応して見事に調整された対応をしているというシステムを考えると、神のカタチに造られた人間各人は、その「造り」だけでなく、その相互関係、つまり個々の人間の日々の祈りは、何らかの神だけが感じ取れる「神の経路」を通して常に神と繋がっていると考えても、あながち間違いではないように思えます。

そして、脳が体のすべての細胞の痛みを受け止めているように、神は全人類の各人の全ての痛み、苦しみを一手に引き受けて、それをご自身の「痛み、苦しみ」として負っておられるのは間違いないでしょう。

 ■ 人間に対する神の究極の願い

さて、今一度ここで、この記事のタイトルを繰り返してみたいと思います。
「神経」の働きや目的から見る、人の痛みや苦しみに関する創造者の意図を探る

【人間の健康と長寿は神の究極の願いの一部と捉えられることがあります。多くの宗教や信仰体系において、神や創造主は人間の福祉と健康を願い、人々が健康で充実した生活を送ることを望んでいるとされています。】(ChatGPTによる)
大抵の方は、このコメントに同意なさるでしょう。

「痛みや苦しみ」を感じる神経システムを人体に備えられた創造者なる神の目的はまさに「健康と長寿」に尽きるでしょう。
決して、「痛みや苦しみ」を味わわせたかったわけではないことは「神経の働き」という明白な現実によって裏付けられます。

もし仮に「地獄の永遠の苦しみ」の概念が真実であるとすると、それは、これまで確認してきた神の創造の目的を完全否定することになります。
同時に、神は人間の罪に屈し、ご自分の究極の願いも目的も果たし得なかったと断言していることにもなります。
すなわち、「全知でも全能でもなく、神失格」という烙印を押すことを意味します。

地獄での永遠の苦しみを胸を張って堂々と主張している人々は、そうした苦しみを与えることを、神は喜んで、嬉々として永遠に行い続けると思っているのでしょうか。
それとも、仕方なくいやいや、やり続けるに違いないと思っているのでしょうか。

もし、「永遠の痛み/苦痛」を与えるということを、罪に対する刑罰として用いたとしたら、ご自身のカタチで存在している人間の尊厳を神自ら冒涜し、ご自身の創造の意図、設計、目的に反することになります。

神は創造当初の願いと理念を叶えられず、自分を知らないもの、従わない者に対してご自身の見事に完璧に設計された、優れた神経による「痛みシステム」を、あろうことかそのための刑罰に使ってしまうほどに落ちぶれ、堕落してしまっているというイメージを植え付けることに奔走しているというのが「キリスト教会」の実情なのです。

まかり間違っても《永遠の責め苦》などと口走る輩に決して耳を傾けてはなりません。

「しかし、ともかく、聖書にはっきりと「火の池、地獄の責め苦に関する記述が、そこここにあるぢゃないか!」
という反論は当然聞こえてきます。

それについては続編で記したいと思います。

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はっきり言わせてもらいますけど、
無論100%全てとは言いませんが、基本的にキリスト教会こそ「広い門」であり「毒麦」であり、「反キリスト」であるということです。 

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