見出し画像

遺伝子の設計から神の実体を探る 第一章

■第一章 遺伝子による男女の違い

創世記の「人は神に似せて、神のかたちに造られた」という記述から、そうであるならば逆に、神は人に似ているはずと考えても良いわけで人の造りからルーツを探り神を辿ることがある程度できるはずという観点から、ルーツを辿るなら、注目すべきは「遺伝子」だろう、との発想に至り、詳しく調べて見ることにしました。

そして、興味深い結論を得ましたので、ここにまとめてみました。無論これは一つの試みであり、一つの可能性ですから、断定するつもりは毛頭ありませんが、興味深い考察として捉えていただければと思います。

まずは、遺伝子の造りについての話にお付き合い下さい。幾分専門的な記述もありますが、辛抱してお読み頂いて損はないと思います。

ヒトには46本の染色体があり、常に似かよったもの同士が対になって連鎖しています。この染色体上に遺伝子があります。そして染色体は半分の23本ずつ両親からもらいます。
このうち22対(44本)は常染色体で、残りの1対(2本)は性染色体と呼ばれます。

そして性染色体にはX染色体とY染色体の二種類があり、これによって性別が決まります。女性はXを2本、男性はXYを1本ずつ持っています。
女性のもつX染色体はそれぞれの両親からもらったものです。
男性のもつX染色体は100%母親からのものです。
男性だけが持つY染色体は、当然のことながら100%父親からのものです。
祖父、父、息子ではY染色体は受け継がれています。
つまり、Y染色体はルーツをたどると最初の男性つまり、アダムにまで行き着きます。

性染色体によって遺伝的な性が決まっても、すぐに女性・男性になるわけではありません。まず性腺が、卵巣か精巣かに分かれます。胎齢4~5週目には、性腺となる「性腺原基」が認められます。
この中には後に卵子あるいは精子に発育していく「原始生殖細胞」も含まれています。まだこの段階では、胎児は男の子でも女の子でもありません。

性の分化では、この「性腺原基」が精巣と卵巣のどちらに分化(変化)するかが重要です。Y染色体には性腺を決める遺伝情報である「SRY遺伝子」というのがあります。
Y染色体を持つと男性になることは以前から知られていましたので、Y染色体の中のどれが「男性化」を引き起こすのかという特定の「男性化遺伝子」なるものの捜索が行われました。そして1990年、ついに「性決定遺伝子」(男性化遺伝子)が発見され、「SRY(Sex-determining Region-on Y chromosome)遺伝子」と命名されました。

受精の際にY染色体が認められると、その中のSRY遺伝子が性腺原基を精巣に変化させます。「性決定遺伝子」といっても「男性化」オンリーで「女性化遺伝子」というものは存在しません。
Y染色体がなければSRY遺伝子も存在しないため、「性腺原基」は精巣には変化せず、自動的に卵巣となります。つまり、男性になるためには無性の性腺を精巣にするSRY遺伝子が必要なのです。

それで、仮にY染色体があっても(遺伝的に男性)、その中に「SRY遺伝子」が存在しないために卵巣となったり、Y染色体がないのに(遺伝的に女性)、X染色体上に「SRY遺伝子」が紛れ込んで精巣となることもまれにあるようです。
胎児は6~7週目には、内性器の起源となる「ミューラー管」(卵管や子宮になる)と「ウォルフ管」(精管や精嚢になる)を2本ずつ持つようになります。つまりどちらの部品も持ち合わせているということです。
SRY遺伝子」の作用による性腺の分化で精巣が発育すると、胎生8週ころから機能し始め、精巣から男性ホルモン(テストステロン)が分泌され、同時にミュラー管抑制因子が分泌されるため、ミュラー管の発育を抑制することにより卵管や子宮はできなくなり、ウォルフ管の方が発達して精管や精嚢ができます。

一方、性腺の分化で卵巣となると、ミュラー管抑制因子(AMH)がないためミュラー管の発育は抑制されず、卵管や子宮ができ、男性ホルモン(テストステロン)が働かないためウォルフ管が発達せず精管や精嚢はできません。つまり、内性器の分化は基本が女性型であり、精巣からのミュラー管抑制因子(AMH)と男性ホルモン(テストステロン)がある場合のみ男性型になります。

ここで、男xyxxだけで、なぜyyという組み合わせがないのかということを考えて見ましょう。染色体突然変異ということが時折生じます。(遺伝子そのものの異常(塩基配列異常)ではありません。)
たとえば1000人に1人くらいの割合で(XYY)の人が生まれるようです。
クラインフェルター症(XXY)やターナー症(XだけやXXX)という例もまれにあります。

性染色体といっても性別を決定する働きだけではなく、他の重要な情報も含まれています。
X染色体には生命維持に欠かせない遺伝子が含まれており、神経細胞のネットワーク構築・情報伝達、免疫機能関連遺伝子(異常が起きると血友病となる)、血液凝固に関連する遺伝子が例として挙げられる。】(Wikipedia)

受精しても、実際に何らかの理由で「YY(あるいはYが一つだけ)」で、ともかく「X」が欠損している場合、成長を続けることができず流産になり、誕生することはありません。

私は遺伝子の専門家ではないので、詳しいことは分かりませんが、これらの情報からだけで考えますと、単に1対(2本)の性染色休というより、「生命維持染色体(X)」 と 「性決定染色体(Y)」 の組み合わせと表現した方が、実態に即しているように感じます。
遺伝子に関するちょっと専門的な話が続きましたがこれで終わりです。お疲れさまでした。

●父性と母性の話

遺伝子による男女の違いについて考えましたが、ここで、両者の特性の違いについても考えてみたいと思います。

「教育」という言葉がありますけども、これは教えるということと、育むということが一体となっているわけですが、一般的に、両親つまり父親と母親の主な役割の違いについてですが、どちらかと言えば、ルールを備え、人の道を教える(教)と言うのが父親の役割であり、食事を与えたり病気の心配をしたりと言うような育む(育)と言うことに、もっぱら気を配るのが母親の特徴と言って良いでしょう。

もちろん両者はそれぞれに同様の性質や能力を持ち合わせています。父親にも母性がありますが、分かりにくいためか、最近では親の持つ特性を表すのに、「母性性」とか「父性性」という表現がよく用いられているようです。

あるいは別の言葉で表現すると、「人生」と「生活」(英語ではどちらもライフ[Life]で同じですが)はもちろん同じものですが、この両者の日本語のニュアンスの違いに見られる、視点や関心事の違いというのは確かにあります。

端的に父性と母性の役割の違いは、敢えて表現すれば、「子」の存在そのものの正当性、存在の意味や価値を問う、という役割と、その現存する「子」の守護、存続、持続という、その存在を維持/継続すると言う役割分担の違いとも言うことができるかもしれません。

染色体の話の中で、「XYXX染色体」の違いについて取り上げましたが、胎児の発育だけでなく、父母の役割に関してもやはり同じひとつの法則があるように思えます。
それは、「XY 男性 父親」は「存在」の有無に関係し、「XX 女性、母親」は「存続」を左右することに関係するということです。

●生命、生存のメカニズム

遺伝子(染色体)の働きやそのメカニズムを踏まえて、人が創造された時の記述を考察すると、改めて気づく点が多々あると思います。

《神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれをた。そこで人は生きものとなった。》(創世記2:7)

創世記の冒頭部分は、極めて簡潔に記されていますが、ここで、単に「人を造った」、とではなく、そのプロセスが示されています。
この、まず「像」という観点からの描写、これには、サイズやデザイン、機能などの様々な要素が関係します。
そして次のプロセスに移り、「命を吹き込む」ということがなされます。

単に「人を造った」という表現で一向に構わないと思えるのですが、なぜこうした描写の方法が採られているのか不思議です。
やはり、この微妙に詳細な描写に何らかの意味があるゆえに敢えて、このようになっているのでしょう。
ここで、その部分の全体の流れを創世記2章から見ておくことにしましょう。

《神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。
神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。
人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。 神である主は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる。》
(創世記2:18-24)

まず、地の塵つまり地上の構成要素を用いて人を存在させ、その後、命の息を吹き込み、そのようなプロセスの後、人は「生きる者」となりました。
その後、それ以前に創造されていた様々な動物を連れてこられ、それらとの触れ合いの日々を過ごします。

その時アダムは動物に名前をつけてゆきます。これは、「ポチ」とか「ミーちゃん」というようなペットの固有名詞を付けたのではなく「普通名詞」を創ることでした。
例えば、ヘブライ語で「蛇」は「ナーハーシュ」といい、意味は「飲み込む者」という意味です。

つまり、アダムが様々な烏や動物に名前を付けたというのは、それらを観察したり、あるいは一緒に戯れたりしながら、それらの特徴をよく言い表した単語が、それぞれのヘブライ語の普通名詞となったということでしょう。
ご自分の創造物の名付け親にとなるという特権を神は最初の人間アダムに与えられました。
これには相当な年月を要したようです。

しかし、その経験から、「ふさわしい助け手は見つからなかった」と記されています。もちろんこれは、予定通りで、1:27には端的に「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」
と記されているように、当初からの計画でしたが、おそらくアダムにしばらく独身生活を経験させることによって、伴侶の必要性を深く感じさせたに違いありません。

ところで「人が、ひとりでいるのは良くない。」という表現は、考えてみれば不思議な表現です。
「良くない」状況を神は最初に造られたのでしょうか。
造ってみた後で、見ているうちに初めて「どうもあまりよろしくない」と気づかれたのでしょうか。
そうとは考えにくいので、「良くない」という表現に何か特別な意味があるように思えます。

この点は、ここで扱うと横道に逸れそうなので、「■第二章」で扱いたいと思います。
ともかくそういうことで、その後、神はアダムの体の一部から女を創造されます。
この辺りの記述も、妙に詳しく描かれていて、「深い眠り」「あばら骨の一つ」「肉をふさがれた」などの一連のプロセスが紹介されています。

この場合の工程もおそらくアダムと同様で、違いは、その素材が「地の塵」ではなく「アダムのあばら骨」だったことで、その後、命の息が与えられて女も「生きる者」となったということでしょう。

アダムは、神から紹介された、自分によく似た人間で別の種類の女性が、自分の体の一部から取られたことを知らされたのでしょう、「これこそついに骨からの骨、肉からの肉!」と感嘆の声をあげます。

そして、慣例通り、これに名を付けます。アダムはこれを「女(ヘブライ語:イーシャー)」と名付けます。なぜならこれは「男(ヘブライ語:イーシュ)」から取られたから、と言います。

さて、人間男女の創造の経緯を見てきましたが、ここでまず注目したいのが、創造の際に2ステップを踏んでいるということです。
つまり、まず形造ること、そしてその後、命を与えて、生き物となったという記述です。

言い換えれば、厳密に言うと、創造に関して、存在させる(無から有を生じさせる)ことと、生きるていること(生命を与えて維持すること)は別の次元だということがわかると言うことです。

もっと端的に言えば、生きているとは結局「存続」ということに他ならないわけですが、「存」と「続」は別問題だということです。
「死」の場合、いわば創造の際の逆の順で起きます。
命の息が途絶えた途端に、存在が消えるわけではありません。しかし体はいずれ時間の経過とともに腐敗、分解されてゆきます。

繰り返しになりますが、要は、生物(生命)は「存在(創出、受胎)」と「維持(継続、成長)」が合体もしくは、一連の2つのプロセスで成立するという、生物の創造のメカニズムというか、生命体のシステムと言えるものがあるということが分かります。

(実はこの、【「」と「」は別問題】ということこそ、この記事の全体を流れるテーマとなっていますので、このフレーズを常に意識しておいてください。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?