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〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

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このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
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#ハルマゲドン

「子に口づけせよ」に見る創造者なる神の想いと願い

先ずタイトルに関係する詩編2篇を引用しておきましょう。 ここで、主に「仕えよ」と訳されている語は、ヘ語:アバドで「労働、耕す」などとも訳されていて、信仰を持つとか、信者になるということではありません。 例えば、創世記2:15には「人をエデンの園に置き、そこを耕させ(アバド)」という記述があります。 無理に訳せば、アダムを、エデンの地面に【仕えさせ】た。ということになります。 ですからここでの「仕えよ」は、神の目的に順応してその計画に協力するようにと言う要請と考えられます

預言の成就とされている聖書解釈を斬る -3 イスラエル建国は預言成就ではないという聖書的根拠

※ ↓この記事は「朗読音声付き」です。下記リンクから再生しながらお読みいただけます。 このシリーズの記事の初めに「1 成就か否かの見極め方」の中で、エゼキエル書のマゴグのゴグについての預言に触れましたが、この記事では、エゼキエル書の全体のテーマとなっている「イスラエルの復興、ユダヤ人の故国への帰還」について考察してみたいと思います。 このテーマに関して、多くのところで同様なメッセージが見られますが、その中の一例として次の聖旬を引用しておきます。 そして、この約束には、単

預言の成就とされている聖書解釈を斬る-2成就に解説は不要

※ ↓この記事は「朗読音声付き」です。下記リンクから再生しながらお読みいただけます。 預言の成就を確認するのに解説も解釈も信仰も要りません。 聖書には様々な預言が記されていますが、当然のことながら、その中には、自分はその預言の当事者ではないということもあります。 例えばある預言は、対象として、ユダヤ人、クリスチャン、特定の地域の個人や国民に影響が及ぶものというものがあります。 では、仮に、明らかに自分はその当事者ではないと言える預言があったとして、その預言が現代、今この

「ハルマゲドン」の本当の意味を探り当てました

7年ほど前に、聖書中にただ1回使われている「ハルマゲドン」という単語について、これは、スペリングミスか、写本上の間違いの可能性があることについて記した「ハルマゲドン考察 3 ーメギドではなくシオン」 という記事をUPしましたが、今回改めて、その可能性の裏付けとまでは言えませんが、更に掘り下げて、気づいた点を取り上げてみたいと思います。 記事最下部にその過去記事のリニューアル版をnoteに挙げたものを参考資料として添付しておきます。 さて、黙示録16:16の 「ヘブライ語で

ハルマゲドン考察 1ー その戦いは行われない という聖書的な根拠

今回は「ハルマゲドン」について聖書に基づいた考察を行います。 最初にハルマゲドンに言及している黙示録16:12-16を引用しておきましょう。 ハルマゲドンに関しては、様々な解説などがあり、またいわゆる「キリスト教」や聖書について全く知らない方でも、聞いたことのない人はほとんどいないのではと言えるくらい、良く知られているようですが、聖書が実際に述べている意味で理解している人は、逆にほとんどいないのではないかと思います。 良く言われているのが、「戦争を終わらせる戦争」「世界

ハルマゲドン考察 2 一 いつどのタイミングで起こるのか?

※↓は、この記事の音声ファイルです。再生させながら、記事をお読みいただくことができます。 前回の記事で考察しましたように、ハルマゲドンの戦い自体は行われることはありません。 それで、ここで言う「ハルマゲドン」とは、王たちが、集まり、最終的に滅ぼされる出来事として、その時のについての時系列をまとめ見ることにします。 「ハルマゲドン」に関する言及は唯一、黙示16:16の一箇所だけです。 そのタイミングは、第6番目の鉢が注がれた時に生じます。 この「第6の鉢」は「第6のラ

ハルマゲドン考察3 — メギドではなくシオン

ハルマゲドン考察1 の中で「メギドに関する聖書そのものの記述を見る限り、目立って注目するほどの出来事が記述されていると言える部分があるとは思えない。 「メギド」が神との戦争という未曾有の出来事が行われる舞台として選ばれる理由と思えるものは聖書中に見いだされません。」という文章を書きました。 このシリーズ第3弾では、そもそも、この「ハルマゲドン」がメギドの山を指すという解説が本当に正しいのかという聖書的な疑問、論点について述べたいと思います。 先ず、ヨハネは「ハルマゲドン」

神の怒り」の表明の真の目的と成し遂げられる事柄

ハルマゲドン、大患難の際に数え切れないほどの人、クリスチャンとならなかった何億人もの人が無残な仕方で死に絶えるというイメージを持つ方も少なくないかも知れません。 実際、ほとんどのキリスト教会はそのように宣教(宣伝)してきたからです。しかし私はそれを明確な聖書的根拠を持って全否定します。 次の3部作からなるPDFをお読みください。

神は命をどのように見ておられるのでしょうか

  神は万物の創造者です。創造物の中でも、とりわけ奇しいのは生き物の誕生でしょう。 まず最初の人間の創造に思いを馳せることにしましょう。 今ここでこう書いているのは「命」とは何かを追求してみたいからです。 神が創造された最初の人間アダムは、造られた直後は生きていませんでした。といっても「死んでた」というわけでもありません。 人間を物理的に(つまり「体」を)造り終えた後、もう一つ、創造とは別の工程というか処置が必要でした。 「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を