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〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

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このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
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#預言

「義人が辛うじて救われる」とはどういう意味ですか

《義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。》Ⅰペテロ4:18 様々な、どの解説を見ても、クリスチャンにとってさえ「神の裁きの日」に救われるのは極めて過酷なものであるという見解で共通しているようです。 果たして本当に、この聖句はそうしたメッセージなのでしょうか。 ここで「救い」と訳されている語は「ギ語:ソゾ(動詞)」です。 聖書中に「救い」という2文字を見出すと、すぐに、罪からの開放、つまり神との正しい関係の回復、恒久的

預言の成就とされている聖書解釈を斬る ー4 エゼキエル書はいつ成就する?

※ ↓この記事は「朗読音声付き」です。下記リンクから再生しながらお読みいただけます。 【初めに】 エゼキエル書に関連したこれまでのレポートのまとめとして、この書が成就する時節は、聖書のタイムラインの中のどこに位置するかを考察したいと思います。 また、聖書の預言というのは予想をはるかに超えた年代の飛躍があることを承知しておかねばならないということ。 例えば黙示録には「千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され・・」(20:7) と、ハルマゲドン後の千年後、当時からすればおよ

預言の成就とされている聖書解釈を斬る -3 イスラエル建国は預言成就ではないという聖書的根拠

※ ↓この記事は「朗読音声付き」です。下記リンクから再生しながらお読みいただけます。 このシリーズの記事の初めに「1 成就か否かの見極め方」の中で、エゼキエル書のマゴグのゴグについての預言に触れましたが、この記事では、エゼキエル書の全体のテーマとなっている「イスラエルの復興、ユダヤ人の故国への帰還」について考察してみたいと思います。 このテーマに関して、多くのところで同様なメッセージが見られますが、その中の一例として次の聖旬を引用しておきます。 そして、この約束には、単

預言の成就とされている聖書解釈を斬る-2成就に解説は不要

※ ↓この記事は「朗読音声付き」です。下記リンクから再生しながらお読みいただけます。 預言の成就を確認するのに解説も解釈も信仰も要りません。 聖書には様々な預言が記されていますが、当然のことながら、その中には、自分はその預言の当事者ではないということもあります。 例えばある預言は、対象として、ユダヤ人、クリスチャン、特定の地域の個人や国民に影響が及ぶものというものがあります。 では、仮に、明らかに自分はその当事者ではないと言える預言があったとして、その預言が現代、今この

預言の成就とされている聖書解釈を斬る-1 成就か否かの見極め方

※ ↓この記事は「朗読音声付き」です。下記リンクから再生しながらお読みいただけます。 当然のことながら、聖書に書き記された預言や、その成就には「目的」があります。 では、ある事象が預言の成就と思えた場合、それを検証する上で欠かせない大切なことは何でしようか。 陥りがちな間違いは、預言の成就とみなせる出来事を歴史上に探索したりして、これこそがその成就に違いないと思った時、その仮定した特定の事象に合わせて、聖書の記述の方を都合の良い、つじつま合わせの解釈にしてしまうことです。