崩れて澄んで、心の空とレンズ、ここから進む。
ここ四日ほど体調を崩した。
1日、お腹の天気が下り坂かとおもいきや、
左目のまぶたが腫れている。
これが、めばちがってやつだろう。
気分も下り坂であった。
調子が崩れたのは、水さえ変えない生活費が7月最後の数日を切りつけたからだろう。
ぼくの鬱はいつも、おそれや不安となって体や頭の重さとして、漂っている。
その中、よいこらせ、と自炊を頑張ったり、水を飲むのを時間とにらめっこで飲んでみたり。
対人、孤独へ、周りの人へのの疑問や、将来への具体的でない不安、習い事のイベントなど具体的で微細、抽象的で大きなストレスも重なったようだ。
そんな半月が過ぎた頃、ガクッとしんどくなった。
しかし、調子は上がってきている。
今日は光しかないような、お天気だったが、
お昼すぎからにわかに曇り…その後また照りだし…照り輝く中、雷鳴が轟いた。
1時間ほどだろうか…雷が咆哮している中、
網戸にしていた玄関から、ひんやりとした風が下から這うように吹き抜けって立った。
あ、雨が降るぞ、来るぞ、と思った。
空が暗くなって冷たい風が吹くと大雨だと、どこかで読んだ。
思い出していたら、ザザ降りの雨。
一向に病む気配もないし、お天気アプリで、雨雲レーダーを見るのもめんどくさかった。
そんな中、自炊もする気もなく、コンビニでおにぎりでも買おうと、出かけた。
無事に買ったその帰り、コンビニ目の前のバス停から傘なしのシルバーカーで歩く女性。
傘を差し相合傘。
女性が住む団地まで送る。
びしょびしょになってしまい、濡れた不快感と湿気。
いいことしたなー、といい気持ちなどなく。
ほーとため息を付いてシャワーを浴びた。
その後、ラジオを聴き…ぼくは三十分ほど眠っていた。
ぼくはどこへいくんだろう。
女性はもう体は乾き、いい気分で夜を過ごしてるだろうか。
雷の思し召し、雨の浄化。
一つ気づきかけたことは…
自分からってことだった。
観念、思い込み…そんな意識ら人生や自分、日々を、見るのではない。
パッと光って轟く。
透明な何層にも重なった想いが一瞬、映る。
思い込みのレンズを洗い流していく。
そうじゃない。
今の心、自分で今を生活していく。
言葉にすると、当り前で抽象的だ。
錨の無い漂う船。
もしくは絶対にぶつからないけど、何も見えない霧が続く中をゆく飛行船。
そんなようなぼくであった。
けれど、それは
みえない、わからない、というレッテルをずーっと、心にも眼にも貼り付けていた。
剥がし方がわからないと目と心を抑えていた。
剥がしたあとを想像なんてできなかった。
けれどもぼくはそれが眼に心に、何層にもレンズがあるとわかった。
うつの霧、人生へ、霧や夜の見方。
ぼくはそれをずっと見ていたから、見てると気づいたから、もうそれでも良いと、霧次第をそっと休ませる。
霧が明けて、夜が明けて…何か見つかれば、
何か変わると。
ううん、ぼくの方に明け方はあるようなのだ。
それを、これからの日々でぼくは見ていく。
霧や夜次第ではない、ぼく次第の方を。
心のレンズに映るもの。
心、思考を意識で見つめて。
考えを感じを。
レンズばかりじゃなくて、
今に出会っていく。
わかろうわかろう、としてまだ書いてるから、力んでるね。
けど、何か違う感じがする。
そして、自分を責めたり、否定するより、
味方でいる。
足掻いても良いんだろうけど…
やれるところからやればいい。
自分の心に寄り添うことが、目的なんだから。
時間を飛んでいくこと、日々を過ごせること。
なんにもしなくてもいいんだよ。
今日一日、超えていけたら良い。
そして、それに憩えた上出来なんだから。
飛行船、船も、自分の航路辿るだろう。
まずはよく眠って、ちゃんとクリニックの薬飲んで…
自律神経っていうのを、優しくして、もっかい元気になるように。
ぶっつり切れてるなら、また育てるように。
日々、日々。
基本の生活。
まずそこからだ。
もうすぐ、立秋。
季節の船も進んでいる。
ぼくも毎日生きていく。
さて、読みかけの本でも読んでみようかな。
そして、しずかに耳を澄ましてみよう。