性虐待被害者の恋 1

男性を好きになることなんて、ないだろう。

自分の身に起きたことを理解したとき、そう思った。
でも人生っていうのは、本当にわからない。
そんな私ですら、心を奪われ狂おしい程にその人を手に入れたいと思うことがあるのだから。

高校、大学と女子高、女子大で、晴れて第一志望の大学に入学したとき、
これから思い描いたようなキャンパスライフがはじまるのだと思っていた。
ところが大学に入った途端、私は鬱状態になり
何をしても気が晴れず、頭が痛くて体が重たい。
気持ち悪くなるほど食べるなどして、とにかく人生を楽しむどころの話ではなかった。

決死の思いで就活を蹴ってまで、
自分の心が呼吸できる可能性を追い求めて、
大学まで家から通えるのに、住み込みで新聞配達をして家を出た。
家に居ることが、私を圧迫していると本能が感じていたからだ。

それをきっかけに、大学卒業後、
派遣をやりながら教員免許取得を目指し、お金のない一人暮らしを継続した。
そうしてその果てに私は、この鬱の正体をかぎ取ることが出来た。
それはあまりにもあってはならないことで、
けれどもどうにも辻褄があうように思えて、
何度も何度も実家に探りを入れるアプローチをし、
ある時、それは確証を帯びた。
そしてある時、全てを思い出したフリをしてカマをかけた。

結果は黒だった。

がんばって、がんばって生きた結果が死刑宣告。
神様なんていない。
それでも人生は続く。

私は状況を打開すべく、思いつく限りのことをした。
同じような性虐待被害者が残した手記を読み漁り、
参考になりそうなカウンセリングや心療内科、精神科へ足を運んだ。
どれも決定打にはならなかった。

小学校に上がった時から、頭の良さを褒められ、注目されてきた。
だから、私の将来は安泰だと信じていた。
それなのに。
地盤がめちゃくちゃだから、立っていることすらままならない。
エリートどころか、失業保険をもらって生活していたことすらあった。
その自分自身の能力の不完全燃焼感も、事態に対して
より苛立たしさを加速させた。

心療系の世界では私は癒されないと判断し、
シャバの世界で交流を持った方が、生存確率が上がると考え
私は不安定ながら、自己実現できそうな仕事を探した。
そうしているうちに、20代は終わってしまった。
誰一人として、好きになることができないまま。

そうした果てに、
私はマスメディア関連の業界に足を踏み入れた。
自己研鑽のために、仕事に関係する講座を受講したりもした。
そこで、業界のお偉いさんに目を付けられ、
切り返しを失敗した私は、嫌がらせを受けるようになった。

あまりに悪質な嫌がらせのため、
家にいることもしたくなかった。
「なんで私ばっかりこんな目に」

そんな時だった。
Jさんに会ったのは。

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