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剣持は、私の最後の砦だった。

深夜のYouTube徘徊の時間。この動画がサジェストされた。数ヶ月前に初めて見たとき、ぼろぼろ泣いてしまった動画だ。

にじさんじのオリジナル曲『Hurrah!』に合わせて、ライバーの3D映像を音ハメしているMAD動画。

なのだが、明るい曲調、かつライバーがふざけ散らかしている映像で、何をそんなに感極まってしまったのか。

この機会に、堂々たるVオタ、剣持オタの私が、なんでにじさんじにハマったのか、振り返ろうと思う。

いつも自分語りしまくる痛い人と化すので、今回は少々客観的に分析したいな〜と思う。思うには思っている。(多分、できない。



Vtuber自体、輝夜月から入り、電脳少女シロと、のじゃろりおじさんを通って、委員長に辿り着き、そこからにじさんじに入っていった。

当時のにじさんじは、おそらく、ましろがデビューしたあたり。2019年の終わり、だと思う。ふわっちまでは私がハマった時にはもういた、という印象。(って考えると、不破湊の人気の上昇率やばいな?

その頃は高1か、と思うと感慨深い。
当時、YouTubeの履歴を消しまくっていた(R18のボイスドラマを聴きまくっていたため)ので、何の動画から入ったかは謎だったのだが、恐らく委員長の切り抜きなんじゃないかな。

ムカデ人間みましたか?のやつ。雑草たべてましたね!のやつ。あとSEISO〜のMADもその時見た気がする。

当時は2Dが全然動きをトレースできてなくて、ぐちゃぐちゃだし、しょっちゅう半目になるし、固まるし、変顔を晒し続けていた。正直、それはそれで面白かった。

委員長と仲が良かったからサジェストに出たんだろう。そこから、剣持に入った。

確か最初、ラップバトルを見て、なんだこの激痛ラップは…って思った気がする。入ったばっかで、みんなの歴史とか関係性とか知らないし、剣持の声はそこらへんの男子学生にいそうな普通の声だし、まじで好印象なんかではなかった。なんなら、あんまり好きじゃなかった気がする。

剣持の印象が変わったのはしばらく経ったあと。おえもり配信の切り抜き、あれを見てからだ。今は死ぬほど上がっているけど、当時はあんまりなくて、顎で人殺してる絵とか、顎に返しがついてる絵とかが描かれた頃の切り抜きくらいだった気がする。

初めて見る私的には過剰だと感じる程、ふざけちらかし、剣持を馬鹿にし続ける視聴者を、手早く面白くいなしていくあの人に、私はシンプルに尊敬の念を抱いたのだった。

元来、面白い人間が大好きなので、芸人さんとはまた違うおもろさをもった剣持にハマるのは早かった。

それから大量に切り抜きを漁った。とめどなくツッコミ続ける剣持で笑い、彼と仲の良い人たちのコラボで関係性を理解し、そしてにじさんじの歴史を知った。彼が、委員長を見てVに可能性を感じ、その背中を追ってにじさんじに入ったことを知った。まだ男性Vが圧倒的に少ない中で、その立場を確立していったことを知った。

本格的に大学受験が始まり、重圧も恐怖も日に日に増していく中で、剣持の影響は私の中でどんどん強くなっていった。

勉強の合間には剣持の切り抜きを見て、集中出来ない時は彼の配信をBGMのようにして勉強した。寝る時間に剣持が配信を始めるので、バックグラウンドで流しながら眠りについた。初めて「グッズ」を買ったのも剣持だった。昔は何がいいのかいまいち分からなかったアクスタが信じられないほど魅力的に見えた。私の資金では当たりそうにない缶バッチはメルカリで手に入れた。勉強でいけなかったライブのBlu-rayを半分発狂しながら鑑賞した。pixivで剣持を検索し、イラストを大量に保存し、専用のアルバムすら作った。気恥ずかしく手が出せなかったボイスも、買った。

今思えば、あれはかなり恋愛感情に近いものであったように思う。委員長以外の女の子と剣持が絡んでいるのを見ると、仲の良さが伺えて嬉しい反面、ちょっとした嫌悪を感じたし、剣持がふざけて出した囁き声を画面録画して何度も聞いた。

私はメンタル面で異常なほど彼に依存していたのだ。しんどいことがあったらとりあえず彼の切り抜きを見て、心を落ち着けるようにした。必ず持ち歩くファイルに剣持のサイン付きチェキをいれ、大きなテストの前は必ずそれを眺めた。鶴岡八幡宮で見つけた刀付きのお守りを買って2年近くペンケースに入れ続けた。イメージカラーの紫が自然と目に入るようになり、紫色の小物や服がびっくりするほど増えた。

受験本番に至っては、剣持のファイルに受験票を入れ、ネックレスをつけ、チェキをポケットに忍ばせ、お守りを近くに置いて、可能な限り剣持が自分の近くにいるようにしていた。

ストレス耐性の低い私にとって、完全に剣持は当時の私の核となっていたのだ。剣持が辞めたりなんかした世界線の私は、今の大学にきっと受かっていないだろうし、ここまでの自己肯定感も得られていなかっただろうと思う。

剣持は私にはない根っこからの自信を持っていた。自分の選択を信じることができるし、自分の思考に対して絶大な信頼を寄せることができるのだろう。

私には到底到達できないであろうその境地に立っている剣持は、当時の私にはどうしようもなく輝いて見えた。思春期特有の、尊敬した者の思想を丸ごと鵜呑みにする単純さを、私は剣持に対して発動していた。剣持のセリフに常に感銘を受け、反芻し、元からあたかも自分の思想であったかのように錯覚した。彼が明らかにエンタメとして言っている強い思想も、彼が言うのなら全て、ある側面では真理である気がした。

切り抜きのような加工し誇張された動画ではなく、オリジナルの配信を見ていて、私が初めて剣持の言葉にがつんと衝撃を受けたことばがある。
Mosaicっていうディストピア的世界観のゲームをやった後、締めとして剣持が言った言葉。

分かってるとおもいますけど、皆さんは、人間ですから。今後も、思い詰めた時はね、1日くらい休んだって社会は回りますから。自分の代わりは、いるんだから。ちょっと視点を外して、空でも見上げて、曲でも聴いて、また新しい一歩を踏み出したらいいんじゃないですかね。

この男は、そういうこと、するっと言えてしまうんだよなあ。信じられないくらい達観していて、ポジティブなのに、自信家なのに、日々思い悩み続けてしまう人間がいることを、よく知っているんだよな。そして、その場をしのぐ慰めなんか使わずに、すっとそういう心に寄り添ってくれるんだよな。

気づいたら、剣持の言葉が近くにいる。彼の言葉が頭を巡る。それだけで、なんだか強く生きられる気がした。その言葉を覚えている間は、剣持の強さが私にも付与される気がした。

彼は、一体何者なのだろう。
6年間、いやこれからずっと、16歳のまま歳を取らないことを、「設定」と嘲笑ったとて、彼にはどこか人間らしさを感じない瞬間があった。あまりにも人間くさすぎて、もはや人間らしくないのだ。ローマ神話みたい。人間の醜いところが垣間見える神様みたい。

彼が存在する、というその事実だけで、私は救われていた時期があった。こんな人間が、横浜の地で私と同じ息を吸っているということ。私のことなんか、1ミリたりとも知らなくたって、生きていることは確実だった。それだけで、私は生きていていいように思えた。あんなに、かっこよく生きている人がいることが、私の救いだった。

本当に、剣持には感謝しかない。ありがとうと一言直接伝えたい、けれど、一視聴者である私が彼に言葉を伝える手段は、マシュマロしかない。だから、精一杯の愛と感謝を込めて、配信で取り上げられもしないようなクソマロを、彼に送りつけるのだ。



にじさんじの振り返りというよりかは、私から見た剣持、って感じの文章になってしまった。次回はにじさんじ全体を俯瞰して思っていることを書こうと思います。またみてくれたら嬉しいな。

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