不幸と不機嫌

「上機嫌でいろ」「自分の機嫌は自分でとれ」というのはよく聞かれることだし、うなずける。

また、「いつも自分自身でいろ」「自分の気持ちに正直に、敏感でいろ」というのも「そうだ、そうだその方が良い」と思う。

そして実践したことがある人は同じことを感じると思うが確かに上機嫌でいた方が周囲に対しての評判が上がるだけでなく、健康にもいいし、運も良くなる(気がする)。そしてまた上機嫌で過ごし、これが「良い生き方」ということになっている。

「いつも自分自身でいろ」「自分の気持ちに正直に、敏感でいろ」というのも別に常に上機嫌でいましょうという意見と反するものではなく、素の自分の気持ちに敏感でいて、不機嫌になったらそれをほっとかずにケアしましょう、という意味である。

この二つを「その通りだなあ」と素直にのみこんだ私は自分の不機嫌に気づくとそれをなんとか方向転換しようと人に話して気晴らししたり、ほかのことをして気をそらしたり、漫画やTV番組を観て気分を変えたりということをやってきた。

だがしかし、最近のわたしは「不機嫌でもいいんじゃないかな」と考えを変えてきている。

前述の方法で「やなことあったら(できる対策はするが)すぐに気分チェンジ!!」を実践してきた結果、「上機嫌で運もいい(?)がいつもなんだか落ち着かない」という状態になってしまった。

おそらく「上機嫌なクズ」になったのだ。状況は良くないのになんだかヘラヘラ笑っている。

(でもそれは、不利な状況でもへこたれない、と変換される)

そういう考えに至ったのは最近不機嫌な時間が増えてきたからだ。

なんだか不機嫌だな・・と感じて気分転換するけど、すぐにまた不機嫌になってしまう。

簡単に思いつく改善策は全て手を打っている。しかし改善されない。

深く考えてもいいことなんてない、と思ってやってきたから原因を突き止めようという気も無い。

「バランスの問題」で片付けてしまえばそれまでだが、もしかして「自分自身でいてかつ常に上機嫌でいる」って全ての要素が社会的にマジョリティか強者か、周囲にとても恵まれている人しかあり得ないことなのではないか?と思いはじめた。

例えば、ロックテイストのファッションが心底好きな女性、TVを観ればいわゆるコンサバな服装が常識的で良いとされ、同じような服装をしている人をネタに笑っている場面が流れる。人と会ったときもぎょっとされる。珍しいもの扱いを受ける。仲良くなったと思った人から「もっと普通の服が似合うよ。普通の服を着た方がいいよ」という良心からのアドバイスを受ける。

この人が自分自身でいたときにこの状況にあって、常に上機嫌でいることなんて不可能だ。

もしくは同じような趣向の人だけの中に閉じこもっていればこのようないやな目にあうことは少なくなるかもしれない。

たとえ彼女が一般的な人よりとても賢くて、人にはいろんな趣向があって、自分も周囲もちっとも悪くないとか、悟っているのに近いとしても無傷ではないんじゃないだろうか。

だったら私は彼女が常に不機嫌でも何も責められないと思う。

逆にこの状況で機嫌がよかったら「もっと自分に正直でいいんだよ」などと言ってしまいそうだ。

もちろん機嫌がいい人と接する方が楽だが、それはもはや仕方ない。

誰にもどうにもできないお天気のように、天体の動きのように、人間界の中の自然だと思う。

わたしは心底ロックテイストのファッションが好きなわけではなく、まだ自分の不機嫌の真因も突き止められていないけれど「なんだかわからないけど何かが気に入らなくて不機嫌になっちゃう」という事態を受け止めて不機嫌でいようと思う。

しかし、わたしの不機嫌は本当に「いったいなぜこんなことが起こるのか?!」というアクシデントを連れてきがちということもあるので本当は早く上機嫌になりたい。

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