自分を見つめ直しても

今年は世界の多くの人に衝撃的な変化が訪れた年だろう。多くは新型コロナウィルスが原因、または遠因で。

わたしは自分の人生を自分が意図しようがしまいが変化が多い人生だと思っていて、もう、避けようがない、自分ではどうもならない、振り返ってみてもほかの回避策は見えないので、抵抗するのは諦めていて半分はその変化を楽しみに過ごしてきた。なので今年の変化についても今までに無い変化だろうけど、自分はなんとかやれる、変化ウェルカムぐらいに思っていた。それが、だ、なんということだろう自分の内面で変化が起こり「自分は変化したくない!」という心持ちになってしまたった。そして気持ちの上ですべてが大変になった。

子どもの頃、状況も自分自身も自分が望むものとは違っていて、それをどれだけ自分の望むものに近づけるかと言うことを動機に日々試行錯誤してきた。それは失敗したり、成功したりしながら、ここ数年は一応納得のいく生活を送れるようになっていた。

ただ、自分の希望が叶っていったり(または諦めたり希望自体が変化したり)で変化への欲がなくなっていってからはだんだん、何を動機にどう行動すればいいのか分からなくなっていた。

回避したいことはもちろんあるし、回避したいことを裏返して、それを希望にすればいい(例:経済的に困窮したくない→お金持ちになりたい)というやり方があるのはもちろん知っているけど、そのやり方が今の私には通用しない。

今、近々で何かにすごく困ってるわけではないんだけど、今までの多くの時間をとりあえずの夢や理想でもそれを追いかけて行動することで過ごしてきたから、今のこの夢や理想がひとかけらもでて来ない状況というのはかなり慣れない。

人生相談を読むのを趣味にしていたことがあったけど、たいていこの種のお悩みには「自分を見つめ直しましょう」という回答がされる。これは回答者に「自分を見つめ直せば自ずと答えがでてくる」という持論があるからなんだけど、これ、出てくる人ももちろんいるだろうけど、「自分なんて見つめ直しまくりだけど出てこないから相談しているんですけど!!」というケースも存在していると思う。

わたしは、一般的なレベルでどうなのかは分からないけれど愛情について鈍いところがあるのを自覚していて、数年前から「やはり愛が重要」と思い見習いのようにたどたどしいが愛を大事に、と生活している。

とはいえ、「愛を大事に」をどの行動に結びつけるべきなのかあんまり分からないので「何をすればいいかわからない」となっている。

死にたくなるときは生まれ変わりたい時(生まれ変わるぐらいの変化をしたい時)という言葉が哲学者の言葉であるらしいんだけど、今はそういうときなのかも、とぼんやり思う。

今は夢や希望がなくても元気に愛を大事に生きる練習期間なのかな?と思うようにしている。

もし同じような人がいたら、夢も希望もなくてもよく食べ、よく眠り、よく笑う、運動することをどうしても続けてほしいと思う。食べれず、眠れず、笑えず、動けない日があっても、次の日には少しでもできるかも、と思ってほしい。答えなんて出てこなくても人生はつづき、私たちは幸せを感じることができるのだ。

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