「ヒロアカの件」で怒ってるあなた、悲しんでいるあなたへ

今回の件で憤っている人、悲しんでいる人、はたまた何も考えたくない人、ほんのちょっとだけ時間をもらえないでしょうか。
あ、日本人の「あなた」ですね。いちヒロアカファンとして、いち日本人として、ちょっとだけ話をするので聞いてほしい。

まずあれだ、批判ではないです。私はヒロアカが大好きだし、現状に胸を痛めているし、これからも応援をしたいと思っている。そして、そう思っている人たちが読んで傷つくような内容ではないので、どうか安心して読んでほしい。

ちょっと長くなってしまったけど。

ヒロアカの件…詳しく言うまでもないかもしれないけど、「日本人の漫画家」が、「人体実験を行う日本人キャラ」を「志賀丸太」と名付けたという件ですね。

例えていうなら「アメリカの漫画」で「核開発を行うアメリカ人キャラクター」が「ピカドン」と名付けられていた、ということになるだろうか。この例えはツイッターでもよく見たので、これを読んでくれている人たちも目にしているかもしれない。

この命名が日本人ファンの間で物議をかもし、マー●ルが「そういう意図はなかったが、不適切だったので修正する」と対応する。

ここでアメリカ人が「英語で“ピカドン”は原爆のことを意味しない」「他国の文化にまで配慮していたらキリがない」「そもそも原爆は捏造」「“この物語はフィクションです”と書いてあるだろう」と言い始めた、というのが現在「ヒロアカの件」を取り巻く状況……である。

いま、「違う!!!!!!」と思った方、もうちょっとだけ時間をくれませんか。

私はあなたのその気持ちが、よくわかるから。
かつては“韓国なんて大嫌い"だった一日本人から、どうしても伝えたいことがある。

まず一つ。ここを否定しておかないと話が始まらないので否定しておくけど、太平洋戦争時に日本軍が人体実験を行っていたのは事実であるらしい。今、「くだらねぇ」と思った方もいるかもしれない。ツイッターでも出回っているけども、これに目を通してくれないか。

日本軍は人体実験を行っていた。これは「アメリカが日本に原爆を落とした」のと同じく、史実である。らしい。

らしい、というのは私がこのことを知らなかったからです。私は元よりとんでもなく歴史に疎い。
とりわけ「自国の加害」に対してほぼ全くの無知、さらには例のごとくに南京大虐殺も従軍慰安婦も捏造だと思っていたクチだ。従軍慰安婦、被害者は韓国の方だけではないと聞いたときには仰天したし、おそるおそる調べたらオランダ人被害者もいるとか出てきた。知っていた?私はね、知らなかった。

私は、自国の加害について何も教えてもらえなかった人間だ。

ちょっと大仰な話になってきてしまったけども、聞いてほしいんだ。どうしても。
私たちは自分の生まれ育った国が犯した罪についてあまりにも無知だ。それは私たちだけが悪いんじゃない、きっと。教えてもらえなかった。そういう方針なのだこの国が。

いま、「それを言ったら韓国は反日教育をしているじゃないか!」とムカーッとした方。かつての私だ。そうだね、それにはNOと言っていいと思う。
いや、実際に韓国で何がどういう教育されているのか知らないのですけども。そこから怪しむべきかもしれないと、今は思っている。ただ、もし実際に隣国を憎むような教育を行っているのだというなら、それには毅然とNOと言うべきだ。

そしてその一方で、自分の国が犯した加害を、「歴史」として知るべきなんだと思う。

自国の負の歴史をきちんと学ぶこと、きちんと謝罪すること。その上で自分たちへの侮辱を許さないこと、間違っていると思うことを批判することは、全く矛盾しない。

そもそも、自国の人間を特攻隊なんてもんに仕立てて惨たらしく散らした国だったし。他国の人間に人体実験を行った、という事実があったとして、特に驚きはない。

今、「そんなの、戦争中は他の国だってやってただろう」と思った方。そうなんだ。

他国はそれを認めて、謝罪し、きちんと歴史として学んでいる。とっくの昔に。
この記事を読んでほしい。一人でも多くの人に読んでほしい。言いたいことは全部ここに書いてある。

とはいえ読まない方がほとんどだろうのでザックリまとめると、ドイツと日本の歴史教育の違いとその危機について述べられている。とても分かりやすいから、できたら読んで。

ドイツでナチのことが、アウシュビッツのことが、徹底して教育されているのはみんななんとなく知っていると思う。考えてみれば、ドイツと共に枢軸国だった日本も色々他人事じゃないはずなんだけども、なんとなく「ドイツはあまりにも酷いことをしたしな ウンウン」「アンネ・フランク可哀そう」と他人事である。私の話だが。


“アジアとの交流がますます盛んになって、職場にもアジアの人たちが増えていますよね。そのときに『マニラ市街戦』を知らなかったら?シンガポールのチャンギ空港近くの政治犯を収容する刑務所(で日本軍が捕虜を収容していたこと)を知らなかったら?最低限知っておかなければいけないことを知らされていない。これではコミュニケーションがとれないですよね。とってもまずいと思います”(上気記事より引用)


知ってた?私は知らなかった。日本は原爆を落とされて健気に頑張ってきた可哀そうな国だと思っていた。それも間違いない事実だけども、あまりにも偏っているのだ。多分。
私が受けてきた戦争に関する教育は、徹底した「被害者教育」だったのか…と最近ようやく気付いて焦っているところです。

ここでちょっと開き直ってしまうけど、知らなかった私たちは悪くない。教えてもらえなかったんだもの。でも「まずいな、知らなかった」と素直に考えられる人間ではありたい、と思う。

そして被害者目線の偏った教育。それの行きつくところは「原爆は捏造」(例です!!!)だと思う。「原爆は必要悪だった」ですらない。「原爆は捏造」。もしそんなことを言うアメリカ人がいたら(見たことがありません。たびたび例に使って申し訳ない)、私たちは仰天し、憤るだろう。同じことが、韓国・中国と日本の間で起こっている。と言っても、すんなり納得できる人は少ないかもしれないけど。


前述の記事に書いてあるが、ドイツではドレスデン爆撃の追悼式典に英国米国の軍関係者が参列しているんだって。日本で言うなら東京大空襲の式典に米軍関係者が参列するようなもんだろうか。ちょっと信じられないよね。これが、自国の負の歴史と正面から向き合ったドイツが辿り着いた場所である。

そういうことも、教えてもらってないのだ私たちは。

そして悲しいことに「志賀丸太はないわ!!!」と言われて「そっちだって原爆Tシャツ作ってんじゃん!!!」とやり合っているのである。あまりに悲しい。
普通に考えてほしい。どっちもNOだ。どっちもダメだ。やったからやり返してもいい、なんて理屈は双方にない。いつぞやの原爆Tシャツ、私はあれにとても怒ったし悲しんでいる。その上で、今回の件について申し訳なく思っている。この2つは別件だし、これは両立していい感情だ。


さて、次に。「Tシャツと丸太の件は違うでしょ」と思った方たちへ。「意図せず踏んでしまったタブー」についてである。
まず本当に偶然の一致だったのかどうかについてですが、ここについて私は堀越先生を信じる。先生が「意図したことではなかった」と言っているし、じっさい先生と同年代である私も知らなかったことなので。

そして「知らなかったタブー」について。これが「マルタは●●語で●●人は死ね、という意味です!不謹慎です!」という話なら私も「勘弁してよ」と思うだろう。でも今回の“丸太”は言うなれば、「日本人がつけた外国人への蔑称」である。“人体実験被験者の通称”なので、もっとひどい話だけども。

ここは絶対に順番を間違えてはいけない。

「日本人が被験者をそう呼んでいた」、だから、「韓国(中国)でタブーになっている」のである。

「日本語で“丸太”は切り倒した木のことです」ではないんだ。日本人が外国人に人体実験をして、その被験者のことを「切り倒した木」と呼んでいたという話なのだ(頭を丸坊主にしていたから丸太という説もあるようです。そういう問題じゃないんだが一応)

今回の件は「他国の文化まで配慮していたらきりがない」という話とは全く違う。ここは本当にわかってもらえたらと思う。

きっと「マルタは●●語で●●人死ね、という意味です!不謹慎です!」だったら、こんな事態になっていない。「日本人に言ってもしょうがないや」ってなると思う。そこを飛び越えて「怒り」が噴出するとき、そこには絶対に理由がある。私たちが「知らなかった」ことが、きっといっぱいある。これは外国との話だけに限らない。

「知らなかった」ことで怒りをぶつけられたとき、まずその怒りの根っこを知ろうとしなければいけないと思う。冷静に。

でも好きなものを否定されると、キツい言葉をぶつけられると、グワッと怒りが湧いてしまうだろう。
私もめちゃくちゃ短気な人間なので、ヒロアカがなんか燃えてると聞いて「誰が何の難癖つけてんだアアン?!」ってグワッとした。
そのあと事態を把握して、自分の無知を恥ずかしいと思った。
そしてその上で、堀越先生へ向けられた暴言やヘイトはやりすぎだし、許せないと思っている。
ヒロアカはこれからも応援したいと思っている。
そして、傷ついた隣国の方々に申し訳ないと思っている。

これも全部、両立していい感情だと思う。


無知を指摘されたら、素直に“恥ずかしい”と思おう。その上で、侮辱や暴言にはNOと言おう。自分の「好き」という気持ちは大事にしよう。
そして、自分の無知で傷ついた人がいたら、誠心誠意あやまろう。

私がそこそこ長い人生の中で、たっくさんの間違いを犯しながら辿り着いた考えです。

そうだ最後に。「この物語はフィクションです」は、「これを書いとけば何を描いても許される魔法の文言」ではないよね。考えてみれば当然だけども。

どちらかというとこの文言は、題材側を守る意味合いの方が強いんじゃないだろうか。ドラマの中で「T大学病院」がミスを起こす展開を描いたときに、視聴者が「東〇病院はこんな病院なのか?!」と思わないようにするためのものだと思う。それでも東〇から怒られたら差し替えないといけないだろうし、それは表現の自由の侵害ではないよね。同じことじゃないだろうか。

”表現の自由”が守るものの中に、”加害”は含まれないんだ。誰かを害する、傷つける表現は”加害”であって、自由は許されない。取り除かなければならないものだ。

「日本には表現の自由があるから!」って誰かを傷つける表現満載の作品を引っ張り出してくるのは違うし、「日本人はこんな風に侮辱されても笑ってるのに!」って他国の作品を持ってきたりするのも違う。

加害は許容しちゃいけないし、加害されたら怒っていいんだ。どこからどこまでが自由で、どこからどこまでが加害なのか、ボーダーが日々変動しているから難しいんだけども。難しいからって思考放棄はしたくない。

堀越先生と集英社が志賀丸太の改名を即座に決めたのも、それが「加害」にあたると判断したからなんじゃないか。知らずにやったことだとしても、それでは許されないことだと、他でもない先生が判断したのだ。ただの難癖だったら毅然としているだろう。

誰でもない先生が「改名する」と判断したその意味を、日本人のファンとして考えられたらと思う。きっと、先生は自分の表現で誰かが傷ついた事実を誰よりも重く受け止めているだろうから。その思いを、こちらが台無しにはしたくない。

話がとっ散らかってしまった。なんかちょっとでも伝わるといいんですが。

あと導入に使った部分なので拾っておきますけど、かつて嫌韓にどっぷり浸っていた私が、考えを改めるに至った劇的な出来事とかは特に何もないんですよね。いろんな人の言葉が少しずつ降り積もっていって、ある日突然「これはレイシズムなのでは?」って思ったんです。

ある国家や民族を一括りにして嫌悪するって、立派な人種差別なのでは?自分がレイシスト(人種差別者)なのでは?って思った瞬間めちゃくちゃ怖かったけど、気づけて良かったなと思う。
みんなやってる、向こうもやってる、って思った方。そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。なんでもいい。私は私がレイシストなのが怖かった。やめなきゃ、と思ったんです。偉そうなことはまだ何も言えないけど、頑張って土俵から降りているところです。

私が気づきを得られたのは、いろんな人が一生懸命つむいでくれた言葉によるものなので、この文章もなんかちょっとでも役に立てたらいいな……と思いつつ書いています。誰か一人でも、いつかどこかで思い出してくれたら嬉しい。

読んでくれてありがとうございます。

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