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DROBEと私。〜老舗企業にて事業会社を立ち上げて、独立経営に至るまで〜

初めに

 佐熊と言います。2019年に現経営陣と共に(株)DROBEを立ち上げ、CMDO(チーフ・マーチャンダイジング・オフィサー)として働いています。

業務を簡単にお伝えすると、
・DROBEで扱っている商品(主に婦人服)の責任者
・DROBEで一緒に働いているスタイリストのチームマネジメント 
を行っています。
大まかにいうと商品面・ファッション面での責任者です。

 また、2023年4月より前職の三越伊勢丹を退社し、改めてDROBEに転籍をしました。(2019年度〜22年度は出向として勤務)
 その為、改めて自身のキャリアの話やDROBE立ち上げに至った話を中心にお伝え出来ればと思いnoteを書いていきます。
※DROBEの立ち上げから今に至るまではDROBEメンバーのnoteに詳しく書いてくれているのでそちらも是非見てみて下さい。

伝えたいこと

 私のキャリアの多くは、百貨店の婦人服バイヤーでした。その様な仕事を主にやっていた文系な自分が、どのような経緯でファッションテック企業でもあるDROBEを立ち上げ、経営するに至ったのか。を主に話せたらと考えています。
その中で、
•違う領域に勇気を出して飛び込もうとしている方
•組織の中で、何か新しいことが出来ないかと考えている方
そうした方々の何かしらの参考になったら幸いです。
 自身の備忘録的・思い出話的になる点も多々あるかと思いますが、上記話題やDROBE社に少しでも興味をもっていただける方がいらっしゃるならば一読いただけたら幸いです。

事業立ち上げ至るまで

バイヤーとして

 私は、伊勢丹新宿店を中心に婦人領域のバイヤーとして、商品のバイイング・ブランドの誘致・オリジナル商品の開発・編集ショップの開発、運営等々をやってきました。
 そうした中でも、個人的に好きだった業務が、イベント運営でした。その為、上記の通常業務をやりながら多くのイベントを企画して実行してきました。
 多い時は年間100企画以上を店舗を跨いでやっており、毎週設営と撤収が何箇所か同時に発生している様な状態でした。いつも火曜日(伊勢丹は企画の立ち上がりは水曜日が多い)は企画し過ぎたと後悔していました。今にして思えば当時の部下も相当大変だったと思い感謝しかないです。
※その辺りの話を、当時のイベントでもお世話になったライターの一田さんにも取材いただきましたので、もしご興味あれば。

https://www.mistore.jp/shopping/feature/women_f2/0chome_column_october_w.html

 なぜ、ヒーヒー言いながらもこんなことを繰り返していたかいうと、自身が企画したイベントに、お客様が来店してくれてダイレクトに反応をしてしてくれるという喜びは強かったのですが、「新しいことをやらないと業界が会社が死んでしまう」と切に感じていたからだと思います。
 
百貨店業界及びファッション業界は年々縮小しており、百貨店業界に至っては(悔しいことに)斜陽産業と揶揄されることもありました。

 その為、店を開いて待っているだけではなく、従来中々店に来てくれないような方々にも、ミセ・モノ・ヒトの良さを知ってもらえるようなきっかけを作りたかったのだと思います。
 そうした考えは、今にして思えばですがDROBEの立ち上げにも繋がっていきました。

新規事業担当として

 その様に婦人服のバイヤーをやっていたのですが、当時新設された新規事業担当に異動しました。
 通常の人事異動タイミングとも異なり、前日まで普通に商品の開発をやりつつ、次のイベントの仕掛けを(懲りずに)やっていた中だったので晴天の霹靂で、内示の呼び出しをもらった時は何か不祥事を起こしたのだと思いました。
 ただ、実態としては良い人生の機会になったと思います。
この機会がなければ山敷や現メンバーと出会うこともなかったでしょうし、そう考えるとDROBEもなかったと思います。
個人としても元来アナログ思考でもあった為、自身のキャリアでITに触れていくことさえもほぼなかったのではと思います。

 当時の命題を大まかにいうと「三越伊勢丹のアセットとITを活用して何か新しいことを」でした。
 今で言うと、DX(デジタルトランスフォーメーション)になると思うのですが、2017年当時はその言葉もなく(知らなかっただけかもしれませんが)「漠然としたお題」と正直感じました。しかし、思考を固められると当然面白くはないですし、バイヤーをやりながら従来の「商品を店に置いてお客様を待つ」という既存の商売のあり方に限界を感じ始めている時期でもあった為、中々に共感するテーマでもありました。
 (詳細は少し端折らせてもらうのですが)そうして、ファッション領域の事業プランだけでなく、コスメ領域やギフト領域等のいくつかの事業プランをチームで固めていき、結果として5つの新規事業を1年ほどで立ち上げていきました。
 三越伊勢丹という老舗かつ企画的規模の大きい会社にあって、この期間でいくつかの新規事業が立ち上がるというのは中々の速度だったと感じています。
 この時、個人として意識したことは、「とにかく市場に出させるように着地させること」でした。正直、新規事業は多産多死だと捉えています。どんなに緻密に計画をすれど市場の変化や社内事情によってすぐに揺らいでしまい、その結果がどうなるのかはわかりきりません。
只、立ち上げ、市場に出すことさえ出来れば、それを気づきとして比較的資金に余裕のある大企業であれば、その結果を学びとして再度立ち上がることが出来ると考えていました。
 また、その意識を上司・役員・社長も持っていたことも幸いしたと思います。DXを推進させて大きく変革させるのであれば、やはりトップダウンは必要だと感じました。そして、迷ったらまず小さくてもやってみる行動の大切さも実感した体験です。
 今、自身が事業を行う中でも、その姿勢は大切にしていきたいと考えています。

アイデアの種

 そうした新規事業担当時、今のDROBEへ繋がるファッション事業のプランも模索していました。
 現在、DROBEは主に20〜50代(特に30代)の女性に主にサービスを愛用いただいています。が、自分が一番最初のきっかけになったのは「ご高齢の方に向けて」でした。
 当時私は、事業のヒントを得るために、多くの消費者に方々へインタビューしていました。
 そんな中で、とある女性の方が「自分の母親はファッションもお店も大好きだったが、年齢とともに体を悪くして買い物に行けないんだ」という話を聞きました。その話を聞いた時に、何かできることはないか。を考えたのがきっかけです。
至極シンプルにいうと、「お店に来れないなら、お店が行けば良い」という考えです。
家にいながらにして、お店の様な体験(モノに触れて、あたらしいコトを知れて、ヒトとコミュニケーションがとれる)が出来たら、大好きなファッションをまた楽しめるのにな。とただただ純粋に思いました。
そして、それをベースに事業プランを広げて考えていきました。
 その後、海外での類似事業事例や、市場でのPOC実行を通じて自身が想定していた以上に年齢問わずファッションに様々な理由で悩んでいたり、不便を感じている人が多くいることを体感しました。
そうしていく中で、徐々に今のDROBEのコンセプトに近づいていきました。

 そうしたきっかけをもつ、DROBEですので、自分としては年齢・性別・環境を問わず、より多くの方により気軽にファッションを楽しむきっかけをつくっていくことを大切にしていきたいと今でも切に思っています。

DROBEはすでに幅広くご愛用いただき始めている(嬉しい)

そして、事業会社化

 そうしたきっかけも経て、2018年当時BCGDVにいた山敷とともにDROBEの前進となるPOCサービスを経てDROBEを立ち上げることとなります。

 POCを進めていく中で、「市場には確かにこのサービスを求めている人がいる」という手触りを感じていきました。
その中で、実はふたつの選択肢がありました。それは、
①DROBEを三越伊勢丹の新規事業としてやり続ける
②事業会社化して三越伊勢丹の「外」でやる
です。
 結果として、②の事業会社化を選択したわけですが、この判断は中々迷いました。
 三越伊勢丹の事業として立ち上げたほうが、既存アセット(お客様・お取り組み先・販売員・資金・信頼等々)を活用できるので安心して事業が運営できます。その為、当然その前提でPOCを実は進めていました。
 ただ、実際は事業会社にしました。その要因をシンプルに言うと、事業会社にした方が「あたらしいコトが出来る。その結果、より多くの方に喜んでもらうことができる。」と考えに至ったからです。

 DROBEにて、より目指したかったのは、既存のファッションマーケットの様にファッションに積極的・能動的な層を取りたいというよりも、そうではない人(=ファッション受動層)にきっかけを作ることだと最終的には考えました。
※元来のファッションマーケットは能動的な人に向けて設計されているものが多いのですが、自分は受動層こそがマーケットの規模も大きいと考えています

 そして、その為には前例を疑うようなことが常に必要だと思い、様々な前例がどうしても付き纏ってしまう社内にいてはダメだと考えました。
また、「人」も当然重要で、山敷・長井・都筑等現DROBEで共に関わっているメンバーとPOC実行を通して仕事をしたことで、業界の慣習に良くも悪くも囚われないメンバーとやることが、業界を新しくしていく中での鍵ではないかと感じていきました。
現代表の山敷とは当時コンサルという立場でしたが、出会い頭に「転職をするつもりでこのサービスを立ち上げる」と言っていたのを思い出します。誰よりもサービスを我が事として、人生かけて運営する姿勢は所謂コンサルの姿勢とはかけ離れていてひっそりと感銘を受けました。
このメンバーと働くことで自分自身もより成長出来ると感じましたし、今でもそう思っています。
 そうして、それまで起業など一度も考えたことがなかったサラリーマンが、やるならば事業会社化はマストで、IPOを目指したいとさえ考えるに至りました。
余談ですが、山敷は当時会社のソファーで寝そべりながら仕事をしていました(今はしてない)。比較的体育会系の組織で育った自分には衝撃的でしたし、「IT系だ、、」と当時はたぶん良い意味で困惑しました。

 IT企業出身のメンバーもいれば、自分のようにファッション事業経験者もいる。その両方からフラットに意見を出せるからこそ、既存にとらわれないアイデアや改善策が生まれるのだと思っています。そして、そうした組織構成こそがDROBEの強みだと自分は考えています。

 そうした考えやPOCの結果を元に、事業性を三越伊勢丹にも理解もらった結果、
令和と共に、株式会社DROBEは立ち上がることとなりました。
そして、資金調達やMBOを経て独立経営体制に移行していきます。

設立当初のミーティングの様子(当時の恵比寿オフィスにて)

現在のDROBEについて

 現在、DROBEは試行錯誤を繰り返しながら成長を続けています。23年に入っても有難いことに多くのお客さまにご利用いただき、過去最高の実績を残すことも出来ました。
また、その中で続々と優秀なメンバーもDROBEに参画してくれています。

 多くのお客様にスタイリングを提供したり、自社AIを使ってブランド別注商品を作ったり、TVCMをしたり、DROBEの仕組み・システムを外部企業さんにも提供開始したり、チャットGPTを使ったサービスが立ち上がったりと日々目まぐるしく動いています。

 そうした中で、最近感じていることは「頭で描いたことは実現する。そして、逆も然り。」ということです。
 起業前は「AI」などはプランしか存在していなく「誰が・どう作るのか」含めて文系の自分には全くの未知数でした。が、現在は一定程度確立し、スタイリングやさらには商品の作成にもきちんと活用出来ています。そして、そのAI自体のDROBE外の企業への提供も始まっています。
 「時間や場所にとらわれずファッションの仕事が出来ればより優秀な人材ファッションの業界により集まってくれる」と当時漠然と考えていました。
結果、現在DROBEのスタイリストはフルリモートで日本中で働いてくれています。
 「こういったブランドがDROBEにあったらお客さまが喜ぶ」と思っていた日本を代表するようなブランドさんとの取り組みもどんどん増えていっています。

創業前のロードマップ(徐々に近づいている)

 想像を膨らませ、思考・事業プランに余白や可能性をもたせておくことの大切さを改めて実感しますし、逆にきちんとその先の未来を先回りして描けていないと新しいことは出来ない。とも痛感します。
 とはいえ、まだ10%(以下)くらいしか出来ていませんし、毎日試行錯誤を繰り返しています。
 それでも、社内外含め様々な人と連携していくことが出来れば理想の姿に必ず近づいていけるとも感じています。その為に、これからも日々を精進していきます。

※突然ですが、DROBEでは一緒に働くメンバーをまだまだ募集しています。自分の担当しているMD & スタイリストも募集中ですので、少しでも興味を感じられた方は是非気軽にご連絡下さい。

MDチーム+エンジニアの働く様子(現在のオフィスにて)

 ここまで拝読いただき、貴重な時間をありがとうございました。DROBEのことを知ってもらう一つのきっかけになっていたら幸いです。
次の機会にはもう少し自分の行っている実務についての細かい話なども記載出来たらと思っています。

今後ともどうぞ宜しくお願いします。
Best regards 
(株)DROBE 執行役員 CMDO 佐熊 陽平

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