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桜満開、米沢市

東京では3月末に見頃を迎えた桜が、山形県米沢市では満開だった。
東京と3週間近くの差がある。
4月14日の午前2時頃、上杉神社の桜。

私は信心深い訳じゃないが神社仏閣の桜はやはりどことなく荘厳に感じる。
もちろん川沿いに咲く桜も綺麗だが。

日本人の感性として桜=美しい、綺麗という感覚はやはりある。
目から入った情報としてそう処理されるようDNAに埋め込まれているのかもしれない。
今まで桜に対して複雑な感情を抱いていたが、今年から少しそれが変わってきたような気がする。
東京では目黒川の桜を見て、米沢に来て上杉神社の桜と、それから父の実家の桜を見た。

この桜が本当に綺麗だった。
実家の庭に2本ある桜の木のうち1本は既に葉桜だったが、枝垂れ桜の方が満開を迎えようとしていた。

庭の桜
父がライトアップした

祖父母が生きていた頃、ここに桜があることなんて知らなかった。
居間と庭に面した廊下を隔てる障子は基本閉まっていたし、確かそこまで興味を持たず、祖父母がいる居間で遊ぶだけで満足していたから、もはや庭があったことすら知らなかったかもしれない。
祖父のあとに数年経って祖母がいなくなり、手入れがまるでされていなかった家を壊すかどうかの話し合いが兄弟間であり最終的に父の所有になった昨年年始には、私のルーツである家系を支えてきた築105年の伝統的な日本家屋はボロボロだった。
それを父が月2回、東京から米沢に通いながら丁寧に手入れを重ね、その中で庭に桜の木があることが判明した。
少なく見ても十年以上は手入れをされていなかったであろう桜の木は毎年の豪雪に耐えられずところどころ枝が折れていたという。
今年も例に漏れず米沢は雪深かったが、父は桜の木に雪囲いをした。
近年所有者からさえも見られずひっそりと咲いていた桜は、久しぶりに家人が見惚れる桜となった。

桜を綺麗に見られる期間は本当に短い。
桜が咲くと風が吹く、雨が降ると言われ、やはり毎年のようにそれは現実になる。
桜が咲いても咲かなくても風は吹くし雨は降るが、何も桜が咲いてからすぐ散らすような所業をせんでも、と思ったりはする。
「世の中は 三日見ぬ間の 桜かな」
こんな言葉もあるくらい、桜の輝く期間は短く、宛ら夏の蝉のようだ。
難しい気候の最中に咲き誇る難しい花だ。
今回米沢に来たのも桜に合わせてという気持ちは全くなく、来る日が近付いてから「あれ?桜咲いてるかもね」と気づく程度だった。
夜中についてみれば上杉神社の桜も家の桜も見頃だった。
寒さに弱く昨年の秋に来て以来およそ半年ぶりに来た私が桜を見られたのは、奇跡というのも大袈裟だが、なんとなく米沢が、東京育ちの私に米沢の桜を見せてくれたような、そんな気がする。

今年は自分にとって転換期と言える年になりそうな気配、あくまで気配だけだが、そんな気がしている。
去年までと自分の中の様々な考え方が確実に違ってきている状況で見た今年の桜は自分の中のイメージを変えるのに十分だった。
視覚から得られる綺麗以上の綺麗さがあった。
私のいいところ3つめ、苦手なモノの見方を自力で変えられるところ。

今年見た目黒川と、上杉神社と、そして実家の桜を、ただの桜で終わらせないように生きたいと思ったそんな4月15日。

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