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ツインレイ ジョンとヨーコ

前回、イエスキリストとマグダラのマリアがツインレイだったとお話ししました。

今回は、誰もが知っているであろう ツインレイのお二人のお話しを書いていこうと思います。 

ジョンレノンとオノヨーコ ご夫妻です。


2020.12.22.
たまたま用事で東京にいて
『ジョン&ヨーコ展』をやっていると知り
行ってきました。
沢山の写真と共にお二人の語られた言葉たちが
時代ごとに展開されていました。

その作品は撮影していい ということだったので
わたしのiPhoneの中に何枚か保存されています。

お二人の出会いは
1966.11.7.
前衛芸術家であるヨーコの個展に
たまたまジョンが訪れたのが運命の始まりでした。
その後、1969年3月に結婚をされ
1980.12.8.ジョンが糾弾に倒れるまで共にありました。

その間、ツインレイでいうところのサイレント期間もあったようです。

1973年の秋。
ジョンは泥酔して二人に近しいスタッフの女性と夜をともにしてしまいます。
それを知ったヨーコは怒り、
ジョンに
家から出て行って欲しいことを伝えます。
そして、身の回りのことが何もできなかったジョンに先程の女性を一緒にいかせることにするのです。
NYのヨーコとLAに移ったジョン。
家を出た瞬間のジョンは喜びました。
束縛から解放されたと思ったのでしょう。
しかし、直ぐにヨーコのいない現実が最悪なことに気付くのです。

1975年の初め。
エルトンジョンのマディソンスクエアガーデンのコンサートに出演する際、楽屋にヨーコがいて二人が見つめ合った瞬間「失われた週末」は終わったといわれています。

サイレント期間は終わり、その年の10月9日。
ジョンと同じ誕生日にショーンが産まれます。
その後の5年間、家族は幸せに満ちていたのではないでしょうか。ジョンはハウスハズバンドとしてショーンに寄り添い すごしました。
1980年、音楽活動を再開し
11月、ヨーコとのコラボ作品『ダブルファンタジー』を発表。

次の月、世界に衝撃が走った事件がおき
この世を去りました。

ジョンの言葉で
1970年に『ジョンの魂』『ヨーコの心』というアルバムがリリースされたとき
「僕らのアルバムジャケットが似ているのには理由があって、二人が別々でありながら一緒でもあるというものにしたかったんだ」

そしてサイレント期間が開けた
1980年
「一番辛かったのはヨーコと別居してみて自分は文字通り彼女なしでは生きていけないとわかったことだ」

ヨーコの側は2012年、サイレントが開けた後のことをこう話しました。
「彼を失う覚悟はできていたけど、戻ってきてくれてうれしい。
本当に失うとは思っていなかった」


いかがでしたか。
わたしは、ツインレイの根本を見ているように思いました。

彼らの人生の一部をこのnote 1ページで表現できるわけないのですが、少しでも 今 サイレント期間で辛い方に届いたらいいな と思い綴らせていただきました。
サイレントの間の心の持ち方など参考になるのではないでしょうか。

因みに彼らの「失われた週末」のあいだ
ジョンは毎日のようにヨーコに電話していたそうです。

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