何か書こう会より No.2
人の話は聞くなかれ
私は、自慢ではないが、人の話は聞かないことにしている。「お前の絵は、ここが悪い、あそこを、こうしろ」とよく言われる。が私は「くそくらえ」と思って聞いている。そのくせ、人の描いた絵に対して「ああがいい、こうがいい」と、一人前の顔をして、しゃべっているのも事実なのです。本人としてはこれでいいと思っているし、これで矛盾しているとは思っていないのだから。
ある時別のエライ人に、この話をすると「あぁ、それでいいんだ。貴方ね絶対に、人のいうことなんか聞いていたら駄目だよ」と言ってくれたので「この人はわかっている」と思って、その話だけは聞いておいた。
絵についての会話は成立しない
エライ人というのは、「自分なら、こう描く」という出発点から「ああだ、こうだ!」と批評する。
エライ人というのは、別な言い方をすれば、個性の強い人です。逆に個性が弱い人というのは、絵の世界では人に認められないのです。その強い個性でもって、「自分ならこうする」という発想で発言するのだからその内容は、私のような凡人の絵には、とうてい受け入れることはできないのです。もし、その人の言う通りに描けば、たぶん、その絵は、サーカスのピエロの服のような、長崎チャンポン(本人は好きではなかった)になることは目に見えているわけです。それに、絵についての批評なんてのは、イメージを言葉で表現するから、まず思っていることの10%も相手に通じないのが普通なのである。
考えるに、「一を聞いたら十を知る」というのは天才で、「十を聞いて十を知る」のは秀才。「十を聞いて三を知る」のが我々凡人なのである。これを逆に言うと、天才は「十のことを一しか言わない」、秀才は「十のことを十話す」、凡人は「三のことを三話す」となる。
そうすると天才と凡人の会話では、天才は十のことを一話す、それを聞いている凡人は、三しか理解していないことになる。したがって天才からは「俺が言ったことが何もわからない人だ」となり凡人は「何も言わずに、分かれとは何を利己的なひとだ」となるように思われる。
こんなことから考えてみれば、絵を挟んでの会話なんてものは、それぞれの思いとは別々に、会話だけがとびかっているものなのです。
したがって、まぁ、それほど本気になって聞くことはない。だからと言って絵について、会話が必要ないのかというとそうでもないと思っている。というのは、エライ人だろうと何だろうと、べちゃべちゃ(原文ママ)言っている中にはほんのちょっぴり「そうだなぁ」とか「おぉ、そうだ、こうしてやろう」なんてことがある。だからそのことだけを有効に取り入れればいいのである。
「絵を描こう会」も気楽に人の絵について、「ああだ」「こうだ」と言い合えばよいと思う。
s54.5.16
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