偶発性を楽しめる旅を
旅の予約で埋まるもの
世界中でインターネット環境が整備されたおかげで、交通機関や宿泊施設はもちろん、飲食店やテーマパークの入場券も予約を済ませた上で、旅行に出掛けることができるようになりました。限られた旅行日数で、それなりの予算を費やすわけですから、効率的に旅を楽しみたい、後悔はしたくないという気持ちが働いてのことだと思います。事前予約を行うのには、そのような気持ちに加えて、不確実性を回避したいという心理も関与しています。観光は、日常の時間と空間から抜け出すことに楽しみがあるのですが、それと引き換えに失ってしまうものもあるからです。
日常生活の場である自宅、職場、学校には自分の居場所が確保されています。そのため、私たちは、毎日安心して生活を送ることができますし、大抵のことは予測できるようになっています。しかし、初めての土地を旅行するとなると、自分の居場所はそこには用意されていません。マズローの欲求階層説の第二層に安全欲求があることからも、私たちは、身を落ち着けられる居場所がないことに対して脆弱なのでしょう。見知らぬ場所に自分の居場所がないことは、とても不安なことです。そのため、現地の下調べを行い、計画を立て、予約を入れて、未知の時間と空間に自分の居場所を確保していきます。乗り物の席、宿の部屋、その土地で人気の飲食店にも予約を入れたので、これで一安心です。不確実性は回避出来ました。
でも、ちょっと待って下さい。予約を入れることで不確実性は回避出来たのですが、同時に予期せぬ出来事や偶然の出会いという偶発性が入り込む隙間も埋めてしまいました。予約でびっしりの計画性の高い旅であれ、行き当たりばったりの旅であれ、旅先での出来事や出会いの全ては、そのタイミングでしか起こりえないこと、つまり偶然(たまたま)の産物なのですが、先々までの予定が決まっている計画性の高い旅では、偶発的な出来事にその後の旅の成り行きを委ねることはできません。いったん行動計画を決めてしまうと、計画を変更するのは労力を要するので、楽をとるために私たちは計画通りに動こうとしてしまいます。
偶発性という流れ
予約を入れすぎず、タイトな計画も立てなければ、その時々の気の向くままに旅をすることが可能です。街歩きの途中で通りがかった地域のイベントに立ち寄ってみる。地元の人が教えてくれたごはん屋さんに行ってみる。現地の観光案内所で紹介された宿に泊まってみる。行き当たりばったりの旅であれば、その分、予期せぬ出来事や偶然の出会いが入り込む余地は大きくなります。旅先での偶発性に身をゆだねてみるということは、目には見えない流れの中に身をおくことなのかも知れません。自分の意思や好みで判断したり、選択したりするのでは無く、自分を空っぽにしてみて、外の環境や状況にゆだねて流されてみるということです。
私たちは、主体性をもって行動することがよしとされる社会に生きています。ある程度の大人であれば、職場や家庭で、いつも誰かに委ねっぱなしというわけには行きません。ですので、非日常の時間や空間くらい、流されてみるのもいいのではないでしょうか。放浪、漂泊、流浪。旅は漂うこと、一つ所に定まらない取り留めの無さとの親和性が高いようです。旅とは、そもそも流れの中に身をおくことであり、川底の石ころのようにコロコロ流され、流れ着いた先で出会った人や、遭遇する出来事を味わうものだったのでしょう。
宗教学者の植島啓司は、『偶然のチカラ』の中で、不確実な世の中で生きていくためには、自分自身に何か問題が起こったときは、できるだけ自分で選択しないこと、いい流れには黙って従うことの重要性を説いています(植島, 2007)。人生で悩んだり、迷ったりした時は、余白たっぷりの旅に出て、流されてみるのがいいかも知れません。そうすれば、普段は気づかない自分を取り巻く流れを感じることが出来るかもしれません。
計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)
ところで、キャリア心理学においても偶発性は重要と考えられています。Mitchell, Levin, & Krumboltz(1999)によって提唱されたキャリア理論では、想定外の出来事や偶然の出来事を最大限に活用することの重要性が指摘されています。下村・菰田(2007)は次のように述べています。
計画的偶発性理論では、人が進路選択を行う際、偶然の出来事が重要な役割を果たすということを前提とする。偶然の出来事によって、本人も自覚していなかった新しい分野に関する興味が喚起され、新しい事がらを学習する機会が得られるとする。したがって、新たな発見が得られるような出来事に遭遇する機会を増やすようにし、偶然の出来事をうまく自分のキャリア形成に取り込むことが重要であるとし、予期しない出来事と遭遇する機会を増やすような方向で将来に対してオープンマインドで臨むべきであるとする。
Krumboltz & Levin(2004)は、偶然を呼び込み、自身のキャリアにつなげていくためには、次の5つの心理特性が重要といっています。
1.好奇心・・・新しい学びの機会を探求すること
2.粘り強さ・持続性・・・失敗しても続ける、失敗や間違いを恐れない、失敗に前向きに対応
3.柔軟性・・・態度や状況を変える、他の選択肢にオープンになる
4.楽観性・・・新しい機会を見込みがあって達成できるものと捉える
5.リスクテイク・・・不確かな結果にもかかわらず行動を起こす。結果が見えなくてもやってみる
上記の心理特性は、自分に降りかかった偶然の出来事を、その後のキャリアに繋げるために必要な心理特性ですが、旅を楽しむための個人の資質としてもみることができるようにも思えます。
そもそも思い通りにならないのが旅(と人生)
不確実性の高い余白を残したままの旅をすると、思いもよらない出会いや出来事があなた自身の人生の転換点になるかもしれません。しかし、その反面、旅先で困ったことになったり、出会った人を信じたためにトラブルに巻き込まれたりというリスクも伴います。不確実な余白に幸運が舞い込むか、不運が差し込むかは、もちろん予測不可能です。偶発性を楽しむためには、ある程度のリスクがつきまといます。
でも、それがいいんです。なぜなら、たとえ不運が入り込んだ場合でも、あなたは「思うようにことは運ばない」という人生訓を学ぶことができるからです。予測可能な日常に慣れていると、私たちはつい期待通りにならないと不平不満を漏らしてしまいます。しかし、期待通り、思い通りに物事が進むのはそもそも稀なことです。予定調和の経験や予測可能な体験ばかりに慣れていると、想定外の出来事に遭遇したとき、途方に暮れてしまいます。「思うようにことは運ばない」ことが当然であるという心構えを持っているのといないのとでは、その時の対応は大きく違ってくるでしょう。
偶発性の入り込む余地のある旅を続けていると、後になって、旅によって自分がつくられたなと思うことがあります。それは、偶発性という見えない流れに流されたことと、思い通りにならない経験によって鍛えられたからなのかも知れません。