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明日からまた頑張るために、私はこう考えるよという話

こんばんは。葉です。
土曜は快晴、日曜は雨の千葉県。

いかに休日が貴重なものか!
社会人となって思い知ってからというもの、買い物や読書、カフェ巡りなど‥
こういったものは土曜にたっぷり楽しむようにして、日曜は家事と休息を取る、という生活スタイルが私の中で確立された。

今週は珍しく仮眠を取りながら、家事を進めたり畑仕事をしたり仕事の確認をして過ごしていました。
グータラする時間も含めて、良い休日だったと思うようにしています。

明日からまた仕事。
やだなという気持ちを無理に押し込まず、noteを通して気持ちを整理し、明日に備えたい。そんな風に書いてみたいと思う。

千葉は先週、大雨が降ったり蒸し暑かったりと、気候変動の激しい1週間だった。
天気が悪いと人はどうにも憂鬱な気分に支配されてしまうことが多いようだ。
中には頭痛を起こしたり気分が悪くなってしまったりと、身体的な不調が起こる人もいるかもしれない。
私は頭痛持ちではないので、そのような人たちのしんどさは、想像することしか出来ない。

頭痛持ちの方とは別に、『毎回同じことについて文句を言う人』が私の職場にはいる。
仕事におけるプレッシャー、苦手な業務への取り組み、同僚の誰かと呼吸が合わずミスが出た‥‥
大体そんな感じの話について、休憩時間に入る
たび、その場に居合わせた人たちを巻き込んで文句を言い始める。

他人に感情を押し付けることでしか、自分の怒りを鎮められない人なんだなと思う。
問題の根っこは見ようとせず、「私はこんなに嫌な気分なの!」と無関係な人たちにアピールすることが、ストレス発散の手段になっているのだろう。

そして多分、当の本人は、周囲がいかに不愉快になっているかに気付かず話している場合が多いようにも見える。

おっと、このままでは私も『noteに日頃の鬱憤を押し付けているだけ』の人になってしまう!
さてさて、なにを言いたいのかというと‥

自分の機嫌は自分でとりましょう、ということ。

ああ、どこかの啓発本にたくさん載っているやつ。
私の生み出した最高のほにゃらら、ではない。

感情のまま、思いのまま、話をすることが絶対にダメだとは思わない。
私だって信頼のおける友人や妹にたくさん愚痴を言うし、愚痴も聞く。

ただし、その先にきちんと自分で前に進もうとする意思が乗っているかどうかで、愚痴の結末が大きく変わってくるのではないかと思うのだ。

言葉は『こと(事・言)の、は(端・葉)』。

平安時代、和歌を通して人の心から言葉が生まれる様子を葉に例えたものがあるそうな。

言葉が人から放たれることで、脈々と大きな木のように広がっていく。
枝分かれして豊かになる様でもあり、枝分かれして嫌な木が出来上がるのかもしれないとも感じる。

自分の発する言葉で、桜の木が咲くように、暖かく朗らかな言葉の木が育つといいな。
完璧じゃなくてもいい。少しでも自分の言葉に責任を持って、豊かで爽やかな『葉っぱ』が育っていくといいな。

じゃあ誰かが発する言葉が複雑に枝分かれして、私の周りに伸びてきて絡まるように木が育ってしまったとしたら?
これが人の噂話や、愚痴や、僻み嫉み嫉妬のことなのだ。きっと。

うんうん、わかったよ。
随分枝が長いから、ちょっと切ってあげるね。

そういってちょきんと、『言の葉』を切る木こりになろう。
バサバサ切り刻む必要はない。自分の顔周りにまで伸びてきているいやーな枝を、ちょっぴり切って快適にするのだ。

視界が明るくなったところで場所を離れ、コーヒーを淹れたり、素敵なnoteを読んだり、仕事バックに忍ばせている小説を10分間読んだり、小窓を開けて外の様子を眺めたりしながら休憩をとる。

これが私の仕事場での休憩ルーティーンである。

愚痴という名の『枝』はどんどん伸びてくるだろう。
しょうがないから、私はきっとまた木こりになって葉を落とす。

いつまで続くかわからないが、一旦はこんな心持ちで過ごしてみようかと決意をここに、明日からまた頑張ろう。






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