執筆っていう作業

前回noteを更新したのはいつだろうか、いつの間にか数か月のブランクができてしまったらしい。別にネタがなかったわけではない。書きたいと思っていた話題はいくつかあったし、なくても呟き程度に書きとどめたいことはあったはずだ。それでも、なんとなく書きたい文章が頭に思い浮かんではそれで満足してしまっていた。正直、文字を起こすという作業が億劫だったんだろう。すこし疲れるな、頭が回らなくてうまく文章が書けない、だから今日はいいや、って。

そうやって思うようになったのはもっとインスタントな娯楽があったからだろうか。SNSやビデオゲーム、何も考えずにただただだらだらと時間を過ごせるもの、一時的にも楽しいって錯覚できるもの。ちょうど大学は夏休み期間だし時間はたっぷりあった。だから思うが儘に自分の好きなゲームをやりこんだりtwitterやYoutubeのようなSNSに時間を費やした。物語の話に強制されるがままに、誰かが書いた文章に、写真に、視覚的情報に思うが儘に弄ばれて。

でも流石にそんなことを何日も続けていれば流石に飽きる。学校が始まった時に授業に追いつける生活に戻れるのだろうかという不安にも襲われる。もっと有意義な過ごし方があるのではないかと思い始める。そうして久々に何かへの創作意欲が沸いて、でも何をすればいいのか分からなかったから今こうやって文章を起こす作業をしている。

なるべく何も考えずに文字を起こす。頭を使いすぎないように、途中で作業が嫌にならないように注意しながら。

果たしてこの作業は自分に合っているものなのだろうかと今更ながら疑問に思う。

拙い文章をひたすら書き起こす作業。ぶっちゃけ、文章を細かく分けて「呟き」として放出した方が見やすいのではないかと思われるような短文たち。まとまらない思考の末に編み出された記号の連なり。

それでも自分の中のどこかで、文章を書きたいと切に願う自分がいることを自覚している。きっとそれは昔の自分が生きたままの自分。

私が文章を書き起こすようになったのは小学生低学年の頃だ。もともと自分の想像した世界を何かにして表すのが好きだった。最初は漫画みたいなものを描いていたけど、自分の人物の画力の無さに失望して仕方なく文字での表現を選ぶようにした覚えがある。だけど一度それをやってみるととても楽しくて、それ以来「執筆」という作業が好きだと自覚するようになった。

それからというものの、映画やドラマで見るような「執筆」という作業に憧れてB4サイズの20×20マス原稿用紙にお気に入りのシャーペンを滑らせてみたり、パソコンでカタカタと音を鳴らしながら文字を綴る作業に憧れてブログで小説を投稿したりしていた。

一方で自分は「国語」という科目が嫌いだった。よくわからない文章を読まされ、同じようにしか見えない選択肢を選ばされ、変な制限をかけられながらマスに文字を書かなきゃいけない作業。それがとても嫌いだった。あくまで自分がしたいのは自分なりの自由な世界を表現することだ、なんてよく思っていた。

だから文章はいつまでたっても未熟だし、今もこうして生産性のないような文字を書き起こしている。今は本を読む楽しさを理解しているし、だけど別に取り立て本を読むわけじゃないから自分の語彙は日々減少しているようにも思われる。

だけど。

自分の中で、幼い自分が素直に生き続けている限り、「執筆」って作業に憧れを持ち続けている限り、私は文字を起こし続ける。