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2024.2.29 藤井佯さんへ

藤井佯さんへ

仰る通り、「よ」です。某、とか名無し、くらいの意味合いで付けたのですが、最近は余剰の余かもしれないと思い始めました。SNS等への投稿には、“私”からこぼれ落ちた余剰分のようなイメージがあります。

手紙のお返事に関してはお気になさらないでください。むしろお忙しいタイミングに手紙というタスクを上乗せしてしまい申し訳ない気持ちです。手紙は無理をして書くようなものでもないと思いますし、それこそ余剰と言いますか、何かが余っているときに書くのがちょうど良いのではないかとも思っています。

ご旅行の行程が素敵で、私も裏砂漠に関心を抱きマップアプリでピンを打ちました。あまりにも大きなものの気配に、写真越しでも圧倒されるようです。冷たく乾いたような空気感も良いですね、実際に行ったらもっと凄まじいのだろうと思います。空気が冷たい季節に伺いたいです。

後方にあるふるさとから出、前方にあるふるさとに向かって歩き続けるようなイメージですが、その二つのふるさとは性質の異なるものではあるものの“ふるさとである”という点で等号で結ぶことができるので、円環というのは確かにそうかもしれません。
前方にあるふるさとは姿が常に揺らぐものでもある(理想は一定の姿を取ることはない)ので、ある一方向に進み続ければ良いわけではなくただ“遠く”だけに向かってぐるぐると歩き続けるわけで、なるほど確かに、と同時にこのイメージはメギド72の5章で登場する「無限回廊」に近いかもしれないと思いました。藤井さんがここまで読まれているかわからないのですが、目指す地点のイメージはあるがそこへの辿りつき方がわからずさまよい続けるという点で共通しているように感じます。余談ですが、バラムと凡蔵稀男さんにどこか似た部分を感じています。そこそこ強い確信なのですがまだ上手く言語化できておらず、ただ互いの影を互いの中に見出すだけです。二人とも、腹に穴の空いたような印象を受けます。

メギド72は、確かに5章あたりから盛り上がり、6章が特にすごい。とよく言われていますね。私は7、8章が特に好きで、遠い情景という言葉もそのあたりで出たものだったと思います。私もソシャゲは苦手で、唯一メギドだけは例外的に続けられています。

そちらのツイート、私も拝見して印象に残っています。「はずかしくもあり」から入るのが良いですね、そして全体にふるさとへの温かく好ましい思いが表れているのも素敵だなと思います。ふるさとに対してこういう気持ちを持つ人がいると思うとなぜか勝手に安心してしまいます。

それは、本当にそうではないと良いなと私も思います。好きだと思っているものの根に好ましくない記憶が張り付いているなんてあまりにも呪いすぎますし…
私も鳥は他の生き物と比較するとかなり好きなのですが、どこか苦手というか身を引きたいような気持ちになるのは鳥が身を置く世界が広く、指針がなすぎるからではないかと思っています。
空は前後左右上下、全ての方向に開いている上指針というか、地上でいう道のような秩序がないのが不安になります。迷子、あるいは地面がぐらつくような心もとなさです。
私は常々魚になりたいと思っていて、魚の中でも川魚になりたいのですが、それは海も空と似た性質があり、川には秩序があるからではないかと思います。完全に自由で何をしても良いとされてしまうと、他者の挙動も全く予想がつきませんし、自分自身も何でもできるがゆえに何をすれば良いのかわからなくなってしまい、何もできない。
先日かかりつけの医師に「先生に私がどう把握、認識されているのかがわからないから先生の『あ』に対して『あ』と返すべきなのか『い』なのか、『お』なのか『うん』なのかわからない」と話したのですが、これも同じことですね。
相手や場などの対象に合わせて自身の振る舞いを調整したいと強く思います。先の手紙も、藤井さんに関連すると思われる話題から関心の輪が重なる部分を選んで書かせていただきました。とはいえ手紙とは元々そういうものですね。

ぬいぐるみは、どうしてもそれが必要になったタイミングで作ることが多いので余程のことがない限り思い立ったその日のうちに完成まで持っていきます。待てないということと、日をまたぐと何かが変わってしまいしっくり来なくなることが多いんですよね。今回も朝に思い立ち、完成写真を撮った時刻が19時となっているのでおよそ12時間(途中食事や風呂なども含む)です。凡蔵稀男さんを絵からぬいぐるみ化するにあたって、藤井さんの凡蔵稀男さんぬいぐるみを少し参考にさせていただきました。先達がいるというのはありがたかったです。ありがとうございます。そちらの凡蔵稀男さんは大きさがあり堂々とされているのが良いですね。創作物には、作り手がそれをどう見ているか、それのどこが好きなのかが反映されるような気がして面白いです。
仰る通り第一部のラストが近く、緊張しながら読み進めております。

キャンプが藤井さんにとって実り多きものになることを祈っております。
セリフに苦手意識があるとのことですが、藤井さんの作品をいくつか(そちらのサイトに記載されているものを)拝読して受けた印象は“人間みが薄い”というものでした。最近自覚したのですが私は“人間み”が濃いものが創作、現実問わず苦手で、現代小説などは特に“人間み”あるいは“生きてるみ”が濃いために読むことができません。また、この“○○み”という表現自体が“生きてるみ”に溢れていますよね。苦手です。(あえて使いました)
私は藤井さんの作品の“人間みの薄さ”に惹かれるのですが、他の方にとっては欠けやあるいは苦手意識ということになるのでしょうか。『鳩造りの工程』も人間みが薄く、撫でてもべたつかないのが好きでした。先日の『鬱の湯』は少し苦手に感じたのですが、おそらくあれは人間みが少し濃かったからと思います。
私の場合は逆で、セリフを書くのは好きなのですが地の文はめっぽう苦手です。なのでセリフはあるが地の文はない、漫画という表現媒体を好むのかもしれません。

数年前に描いた創作漫画です。10作目のみを突然公開したので大変不親切なのですが、個人的には今でもかなり気に入っています。

私も、突然の申し出でしたし藤井さんにとってはおそらく誰、と思われるのではと思いながらのお誘いでしたのでお受けいただけたときは驚きと喜びがこみ上げました。関わる機会をくださりありがとうございます。造った鳩は机の上で元気そうにしております。こちらこそよろしくお願いいたします。

起床しお手紙を読んでから、出かけるまでの時間で書き終えてしまいました。思い立ったときに自身の行動を遅延できないというのは長所でもありますが短所でもあります。返事が早く申し訳ありません、どうかお気になさらないでください。
旅の安全を祈ります。私はどうしても飛行機が恐ろしく、乗ることができないのです。
良き日をお過ごしください。

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