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ふるさとについて


 ふるさとには、もう帰れない。ふるさとが無くなってしまったわけではない。あるいは、ふるさととの関係性が悪化したのでもない。むしろ良好なくらいである。ふるさとは何一つ変わらずにそこに在り続け、そして私は今もふるさとに触れ、それを目の当たりにしながら生きている。
 けれど、もうふるさとには帰れないのだ。なぜなら、「大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。……」この一節は、坂口安吾『文学のふるさと』からの引用である。私はこれを読み、そして、自分はもうふるさとへ帰ってはならないのだと悟った。
 ふるさととは、文中で坂口安吾が言うように、我々のゆりかごである。ふるさとへ帰れば、心が安らぐ。甘えたような心地になる。全てが許されたようにさえ思える。けれど、それが許されるのは子どものうちだけである。大人になった者は、ふるさとを出ていかねばならない。またそのとき、決してふるさとを忘れてはならない。ふるさとがどのようなものであったか、しっかりと記憶した上で、そこを去らねばならない。
 けれども、ふるさとを忘れることはおよそ不可能であるように思う。なぜなら、我々のふるさととは、この世、あるいは人生には救いようのないものがあり、アモラルな、突然突き放されて何の説明も慰めもないような出来事が必ず存在する、という事実そのものだから。そこでは救いが無いということ自体が救いであり、唯一の慰めとして機能する。
 この世は、人間の条理などでは動いていない。人生とは常に理不尽であり、絶望に触れることなく生きていくなどということは、およそ不可能であるように思う。誰しも生きる上で、この世に救いなどない、人生とはなんて理不尽なのだと嘆き、絶望し、匙を投げたことがあるのではないだろうか。ならばこそ、誰しもが知っているはずだ。その絶望、嘆きには、他の誰にも触れられ得ぬという絶対的な孤独、他の存在を寄せつけぬ絶対の美しさがあるということを。
 絶望は、甘美だ。理不尽さやむごたらしさというものには、尖った氷のような、残酷で切ない究極の美しさが宿る。そしてその内にいるとき、人は、この世の全てから切り離され、たった一人、その美しいものとだけ共に在ることかできる。絶望と自分とだけが存在する世界、それは安らぎであり、救いである。悲劇のヒロインという題材が今も昔もよく持ち出されるのは、そういったわけを我々が皆、暗黙のうちに知っているからだろう。そして知りつつも決して公にすることはせずに、気がつかぬふりを続けているからだろう。
 けれども我々は、あるいは大人であるのならば、いつまでもそこで安らいでいるわけにはいかない。ゆりかごで揺られ続けていてはいけない。我々はふるさとを覚えたままそこを離れ、また離れた先でふるさとの姿を目の当たりにしながらも、決してそこへ帰ってはならないのだ。
 ふるさとはあたたかかった。やさしかった。美しかった。さぞかし帰りたかろう。この世に救いは無い。人生とは理不尽なものである。絶望を口にするのは大変に気分が良いだろう。希望を語ろうとするよりも、余程容易いだろう。皆が知っていることだ。そして何よりも、この世の冷え冷えとした、ただ一つの美しい真実である。
 けれど我々は、真実を語ってはいけない。皆がわかりきっていることを、いつまでも唱え、そこに居座り続けるようでは、いけない。我々は、それが空々しい嘘だと知りながらも、それでも希望を語らねばならない。嘘を、真っ当に信じ続けなければならない。
 大人の仕事とは、何だろうか。ふるさとへ帰れない大人がするべきことは、そこが薄氷の上であると知った上で、一寸先は闇であり、我々は蟻地獄の中にいるのだと知った上で、その上に堅牢な城を建てることだと私は思う。平気な顔で城を建て、そして子どもたちに「ここは安全だよ」と声をかけ、城に招き入れることが、我々、大人であるべき者の仕事なのだと、思う。
 子どもに、嘘を真実と思いこませることだ。やがて子どもは、嫌でもそれが嘘であると気がつく。この世に人の条理など通じず、理不尽とは突然に、容赦なく襲いかかるものであると。そのとき子どもは、大人にならねばならない。ふるさとの本当の姿を知り、それが骨の髄まで染み込んだとき、語るべき言葉は絶望ではなく、希望なのだ。
 救いの無い世界で、我々は生きている。救いは無くとも、我々は生きていかねばならない。子どもは、大人に守られ、その姿を見て育つ。だからこそ、我々は孤独を語ってはいけない。世界に絶望しきってはいけない。離れたはずのふるさとに直面し、その絶望の中に身を浸して、絶対の孤独と切なさと甘美とを享受することがあっても、必ずそこから出て、自らの足で立ち、また歩き出さねばならない。あなたが、大人であるのならば。
 絶望を語るために、言葉を紡ぐべきではない。我々は救いを語るためにこそ、口を開くべきなのだ。絶望を語りたいのなら、ただ口を閉じているだけで良い。ただそれだけで、済む。
 救いについて語らねばならない。冷たく美しい我が故郷に後ろ髪を引かれようとも、我々はそこを出ていかねばならない。
 だから私はペンを執り、大人であるべき者として、こう語る。
 この世には、救いもモラルもある。

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