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始まりに過ぎない

アナと雪の女王の予告編を見たのはいつだったか。
let it go の英語版歌唱がそのまま予告編として流されていた。
これは大変な曲が生まれたと思いながら歌詞も分からず圧倒されていた。
さらに衝撃だったのは、本編を見てこの曲が終盤ではなく比較的序盤に歌われるということだった。
主人公のエルサが自分のコンプレックスを隠すのをやめる、自分は自分らしく生きる、そう決めてからあらゆる戦いが始まる。
人生は「決めた」だけでは変わらない。そのことがきちんと描かれていることで、わたしはこの物語を信じることができた。

10代~20代前半はすべてが恐怖だった。自分も社会も何も信じられなかった。自分が積み重ねたものを何度もさわってたしかめるような日々だった。
20代後半、生きることに必死なだけではなくなりはじめたわたしは、なんとなく34くらいですべての調和がとれる気がしていた。
実際、34あたりでわたしのキャパシティは人生最大にふくらみ、それでも生きていた。あらゆる恐れはなくなっていた。
人に尽くし、愛し、怒り、常に熱を持ち、まさに少しも寒くなかった。

ところが、アナ雪同様やっぱりここからが物語だった。
34でわたしはわたしの最大値を見つけた。
それは最大値であって適性値ではなかった。
上手いこと言うみたいで恥ずかしいけど、わたしは元々寒いのが好きなのである。
すこしも寒くない状態はわたしの好きな状態ではない。

35あたりから感じ始めた自分への違和感はおそらく今ピークを迎えている。
自分を知ること・認めることと、周りと調和し生きていくことはまったくちがう修業が必要で、これは複雑に絡み合っているように思う。
自分が変わるたび、自分を発見するたび周りとの調整は必要なのだ。

エルサも、結局アナ雪2までこの問題と向き合うことになる。
アナ雪2は賛否もあると思うがわたしにとってはめちゃくちゃハッピーエンドだった。
でも根暗仲間だからわかる、エルサはきっと今も自分と周りとの調和に悩みながら生きている。
悩みながら生きることは絶望ではなく変わり続けられるという希望でもある。

ずっとかわらないもの、続くものは無い。
さびしいこと、足りないこと、寒いことこそ希望と思う。

明日、わたしは37歳になる。
40が見えてきて、なんとなくの予感はある。
実際に仕事を変えようとしている。この決意まで、ものすごいエネルギーを使った。でも、決意はただの始まりに過ぎない。戦いの、ほんの始まりに過ぎない。
歳をとってできるようになることもあれば、やはりできないのだと知っていくこともある。
時に静かに、時に大騒ぎしながらそれらと向き合い戦っていくのだろうと思う。

変わりたい、変わりたい、愛したいと思いながら、わたしはアナ雪3を待っている。

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