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大切な人を「見送る」とは?

1.「ちゃんと送り出してあげたい」


先日、うちのお寺にとある女性が訪ねて来られました。
「義母(夫の母)が亡くなりましたが、
お葬式ができず、心残りで・・・
せめて初七日だけでもお勤めしてもらえませんか」

事情をお聞きしていると、
夫とその母は長年仲が悪かった。
夫は、母の介護はもちろん、
葬儀も一切しないという方針だったそうです。
ここへ来ていることも夫には内緒にしているとのこと。

初七日のお勤めをした後、
その女性はとても晴ればれとした表情で
「胸のつかえがスッと取れました。
母も喜んでいると思います。
ありがとうございました。」
と涙ながらに話して下さいました。

昨今は、コロナも相まって
葬儀が簡略化されています。
「お葬式はとにかく簡単に済ませる」風潮が強い中、
この女性のように
「ちゃんと送り出してあげたい」
という方は稀な世の中になってしまいました。

葬儀には大切な意味があります。
大切な人をきちんとお見送りする。
遺族が故人の死と向き合う時間。
葬儀をへて、少しずつ気持ちの整理ができていきます。

この女性との出会いを通して、
「送り出す」ことの意義を改めて感じました。

2.「供養」はしない

ところで、
浄土真宗には「亡くなった方を供養する」
という考え方はありません。

葬儀や法事は、
「亡くなった人をご縁として、
生きている私たちが仏法に近づく機会」
ととらえます。

歎異鈔には、
「自分の力で(自分が念仏することで)、
誰かを極楽浄土に行かせることなんてできない」
と書かれています。

親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、
いまだ候はず。
そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。
いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ 候ふべきなり。
わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、
念仏を 回向して父母をもたすけ候はめ。
ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、
六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめ りとも、
神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと云々。

『歎異鈔』

誰の命もいつかは必ず終わりを迎える。
だからこそ、今日を大切に生きていきたいものです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。


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