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知りたい

 サンダルが少し、日傘のつくる陰からはみ出して、銀のラメのペディキュアが光る。下着の内側にじっとりと滲む汗。今日は暑い。どこか店の中で待とうと思い、スマホを探して鞄を漁っていると、日傘がひょいと持ち上げられた。

 浜野が、にやりとする。

 久しぶりに見る、昼の浜野だった。いつもより眉毛がきりっとして見える。瞳が光っている。髪の毛はつんつんしている。

「日焼け対策ばっちりっすね」

「の割に白くないねって?うるさいな」

「言ってねえじゃん」

 会話の始まりはいつも通りの軽口。あたしは安心する。浜野から日傘を奪い返して、歩き出す。

 傘があってよかった。物理的に、距離があく。

 浜野と会うときはいつも夜、七時半ごろに待ち合わせて渋谷で飲み、それからロイホでパフェを食べる。ロイホの店内はいつも昼みたいに明るいけど、その頃には浜野は真っ赤だ。酔ってふわふわした浜野の記憶しかないから、今日は不思議な感じ。いまいち距離感がわからない。

「穂村は色、白いよ」

 傘を持ち上げると目が合った。慌てて逸らすと、なんだか意識しているみたいだ、と思う。気まずくなって、まあね、と小さな声で返す。

 駅からそう遠くなく、透明の屋根の付いたエスカレーターに乗る。日傘を閉じる。屋根を通して差す光は水面みたいにゆらゆらしている。

 どうしても、観たい絵があって、浜野を誘った。浜野がいつかインスタにあげていた自分の部屋の壁に、あたしの好きな絵の絵葉書が飾ってあったからだ。それを観てどう感じるか、何を考えるのか、知りたかった。

 室内は涼しく、滲んでいた汗がすっと引く。浜野がふたり分のチケットを見せた。あたしたちはゆっくりと歩く。一枚一枚、立ち止まりながら。終わりかけの展覧会には、客はあまり入っていなかった。あたしと浜野は終始、無言だった。

 観たかった絵は展覧会の目玉というわけでもなく、中盤の小さな部屋にひっそりとあった。小さな絵だった。海岸の点描画、本来そこにあるはずのない色がたくさん、たくさん散りばめられていて、ただ美しかった。

「人がいたね」

 浜野はカフェでアイスココアを飲みながら言った。

「あの点描画。横向いて歩いてて、前面に黄色とかピンクが使われてた」

 あたしは逆を向いていると思った。陽の光に背を向けた悲しい人に見えた。帽子を深く被り俯き、立ち止まろうとしている人。でも浜野には、上を向き歩きだそうとしているように見えたらしい。

「なんか希望があって、いい絵だった」

 浜野らしくていいなと、思ってから、浜野らしいについて考える。あたしは浜野について何も知らないかもしれない。知りたい。考え方も、酔っているときよりゆっくりとした低い声も、なんだかあたしをどぎまぎさせていた。

 浜野がグラスを置く。ココアじゃ喉乾くわ、と笑う。それからあたしの顔をじぃっと見て、すっと真顔になる。

「穂村さ、俺のこと好き?」

 浜野の瞳は綺麗な茶色をしていた。真剣な目を見ていられなくて、逸らす。

「なに、いきなり」

 グラスの下に溜まった水滴を、全部拭き取りたいと思う。

「違った?何かの創作について、あなたがどう感じるか知りたいってのはもうほとんど告白のようなものかと思ったんだけどな」

 あたしは顔を上げる。あたしの顔を見て、浜野がゆっくりと笑う。きっと真っ赤になっていたと思う。

「それこそ、月が綺麗って言いたくなるみたいな、愛じゃん?」

 すっと息を吸う。あたしも喉が渇いた。あたしはアイスティーだったけど、喉が乾いて仕方がない。観念する。浜野の目が笑っている。言うしかなかった。全部ばれてるんだもの。

「好き」

「俺も、好き」

 余裕そうでムカつく。そう言うと浜野はけらけら笑った。似合わない陽の光の下で、光っている瞳で、前を向いて。希望の人みたいだった。日傘を広げると、ひょいと持ち上げられる。

 陰がずれて、銀のペディキュアが光る。よく見るといろんな色の使われた、ラメラメのペディキュアが七色に光っていた。

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