ソーダアイスキャンディ 1/2
以前投稿した バレンタインチロル ホワイトバニラクッキー の続編です。これだけでも読めます。
一日経っても、まだ熱い。
貸してもらった手持ち扇風機の電源をつけて首に当てる。汗が引いてきたら、そっと右手にも当ててみる。巻き起こる風が心地良かった。
電車が動き始めたので、急いでつり革を掴む。口の中で、お、と思う。
だるいほど青い空にむくむくと湧き上がる大きな雲が、夏を示していた。
「お、怜央じゃん、おはよ」
後ろから声がかかる。振り向くと陸上部のやつらがにやにやしている。
「おまえ、テスト、どうよ」
「さあな」
「また再試くらったら、さすがに大会出してもらえねえよ」
「またってなんだよ、前再試くらったのは俺じゃなくて勇斗だろ」
「うるせえ」
汗でしっとりした腕で小突きあう。扇風機を見つけると、いいなそれ、と、風に当たってくる。その頭を押しのけて、しっしと手を振った。
「俺、勉強すっから、あっち行け」
勇斗がにやりとする。
「へーい」
陸上部のみんなが、勉強? 怜央が? と騒いでいる。ここ電車だぞー、ほら角行け角、と、勇斗が誘導してくれる。体の角度を少し変えて、見えないように。前からくすりと笑い声。
「矢崎くん、再試だったんだ」
こそこそと喋って、こちらを見上げる。俺はなんだか恥ずかしくて頬を染めた。
「そうなんだよ、あいつら頭悪くて」
「高木くんもぎりぎりだったじゃん」
「それは言うなよ」
くすくすと笑う。原さんの首を汗が伝う。手持ち扇風機を返して、そうしたら、原さんはワイシャツの胸元を少し浮かせて風を当てた。
眩しくて、そっと目をそらす。
「よし」
原さんが英単語帳をこちらに見えないように持ち直して、じゃあ問題出すよ、と言った。原さんは普通そうにしている。昨日のことが嘘みたいだ。意識しているのは俺だけだろうか。
青いシャーペンを挟む、細い指に見とれていた。コーラを入れたガラスのコップを水滴が伝う。去年から原さんはずっと頭が良くて、教え方もわかりやすい。おかげで、苦手な数学も英語もいつもよりよく理解できている気がした。
「すごいな、原さんは」
原さんの白い指が、シャーペンをそっと放した。両手の指を絡めて、その上に顎を乗せる。
「どうして?」
「どうしてって」
こちらをじっと見つめるから、俺はどきまぎしてしまう。涼しい店内で、首を汗が伝う。
「だってこんなに勉強ができて、教え方もうまいし」
「やればできたじゃん、高木くんも」
「それは原さんのおかげだよ」
ふふ、と、原さんは笑う。ならよかった、と、腕を伸ばす。真っ白な腕が眩しい。
「あたしは、高木くんがどんなに丁寧に教えてくれてもきっと速くは走れないから、高木くんのほうがすごいと思うなぁ」
優しい子なんだな、と、改めて思う。すっと目を細めてまつげを震わせる、その繊細な表情に、俺はいつも魅せられている。
「勉強と走るのはまた別じゃん」
「うん。でも、すごいよ」
こちらを向いて、にっと笑った。
「ありがと」
俺も、にっと笑った。
電車が揺れる。原さんは楽しそうに問題を出してくれる。昨日頑張って覚えた単語たちを、俺はなんとか答えていく。ときどきわからなくて上から覗き込んでは、だめだよ、なんて隠される。
顔が近くて、慌てて逸らす。
原さんが、ぱちぱちと二回、瞬き。そのたびに目に映る色が変わって見える。ふっと青が滲んで、一瞬のうちに消える。
昨日の帰り際、いつものコンビニでアイスを買って食べながら歩いた。俺とアイスを交互に見て、原さんの瞳は今みたいに、ぱちぱちと色を変えた。
「このアイス、初めて食べた」
「美味しいよな」
「うん」
暑苦しい夏の夜に、ソーダの爽やかな甘みが溶け出していった。俺は幸せだった。原さんと付き合ってもうすぐ半年。だんだんお互いを知って、休みの日にはこうしてふたりで会って、それだけでどきどきしたし、嬉しかった。
ひんやりと冷たいアイスに齧りつきながら、静かに、並んで歩いていた。
ふいに、つん、と、右手に何か触れる。アイスとは対照的な、夏の夜の空気よりも熱い何か。
「怜央、くん」
風にのって聞こえた。指が絡む。原さんの綺麗な細い指。涼んでいた体が一気に熱を帯びた。ちらりと見ると、外灯に照らされた原さんの瞳がきらりと青く光った。
「大会、出るんでしょ」
「うん。まずはテスト、頑張るよ」
一日経っても、まだ熱い。熱をもったままの右手を伸ばす。原さんは少し切ない顔をしている。ころころと変わる表情を、俺は見逃したくないと思う。
「だからさ、試合観に来てよ」
一瞬、頬に触れる。ぴくりと眉が動いて、瞳が青く光る。囁くように、言う。
「美怜」
窓の外で、真っ青の空が俺たちを見つめていた。
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