深夜の独り言 50
免許の合宿に来ています。一人ぼっちの二週間。運転は楽しいです。じっとしている何倍も気持ちが良いです。頭がすっきりして、思考が整理されていきます。
免許合宿に来る直前、私は一泊だけ家出をしました。それ以来、母と会っていません。ラインで合宿所に着いた報告だけしたけれど、それ以外は連絡もとっていません。
母と私は、いつも言い合っているわけじゃないんです。顔を合わせるたびに喧嘩をするわけではないし、普通に笑い合えることだってある。でも心の奥底のほうで、私には母を憎んでいる部分があって、ときどき母とぶつかったりしてそれが前面に押し出されると、生きるのもしんどいくらい暗い気持ちになります。ずっと前に言われた「産まなきゃよかった」が、今も私の心をざっくり刺すのです。ずっと前に首を絞められた記憶が、今も私の心を捻りあげるのです。私を産んだひとにしかできない、ある意味特別な呪いです。あなたに存在を否定されたら、私は、本当に「生まれなきゃよかった」人間になってしまうと、そう思って苦しいのです。
私を「子ども」としてしか見ていない母は、心配するふりをして縛り付けています。それが許せなくて何度もぶつかりました。私の意見を否定するとき、母にはまっとうな理由がない。だから納得できない。話し合いにならない。でも、私はこの一人ぼっちの期間に何度も思い出すんです。家出する直前のこと。
自分で稼ぐから大学院のうちに一人暮らしがしたい、という話を母にしたら、急に怒られたんです。そんなのはありえないと。理由を聞いたら、「学生だから」。意味がわからなくて。それで私、「母と一緒に暮らすのが嫌だから言ってるのに!」とキレ返してしまって。母はすごく傷ついた顔をしました。私も母に何度も傷つけられたけど、私だって母を傷つけたんです。
どうしてこんなに苦しいのでしょう。私は母に産まなきゃよかったと、そう言われた日から、彼女には心がないと決めつけて生きてきました。でも、お腹を痛めて産み育てた娘に一緒に暮らすのが嫌だと言われて、傷つかない人がいるでしょうか。私の言葉が、母の心をざっくりと刺したのです。
母は泣きませんでした。もうあと数年で定年の年です。しわも増え、髪も染めています。母は、泣きませんでした。私が泣きながら放った言葉に、ただ顔を歪ませただけでした。
運転は楽しいです。昔は、車でいろんな場所に連れて行ってもらいました。旅行の多い家族でした。父と母が交代で運転して、私はそれを後ろで見ていました。ミラー越しに見える母の目。
なぜ、こんなに苦しいのでしょうか。私は間違っていたのでしょうか。では、私はどこから間違えていたのでしょうか。どうしたら、正しい道に戻れるんでしょうか。私は。私と母は。感情的になりすぎるところは、さすが親子でそっくりです。
私が傷つけられたからと言って、相手を傷つけていいわけじゃない。それは相手が母親でも、同じなのかもしれない。そんな単純なことに、私はようやく、二十歳を超えてようやく気がついたんです。大人にならなくてはなりません。母だってひとりの人間なんです。愚かで醜い、子どもなんて産む資格のなかった母です。でも産んじゃったもんはしかたないんだよ。生まれちゃったもんは、しかたないんだよ。私は当然だけど死ぬまで生き抜くしかない。母を恨んだって、後の祭りなのでしょう。
どうしようもなくて、笑える。あと三日で仮免で、その一週間後には卒業検定があります。免許がとれたら、お家の車で練習させてもらうつもりです。初めて隣に乗せるのはきっと、母でしょう。何事もなかったように話せるでしょうか。
あんなにはっきり傷つけたひとを、まっすぐ見つめることができるでしょうか。
走る夜に。
深夜の独り言。
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