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抜け駆け

 昼下がりの教室、後ろの黒板の前に、四十人のクラスメイトのうち二十三人の男子たちが集まっている。一つの輪になんてなれなくて、小さい輪がいくつか連なって、机に腰掛けているやつなんかもいて、うじゃうじゃとただ集合していた。

「どうしよっかー」

 一番声の大きい男が真ん中辺りで声を出す。

「とりあえず適当に組むか」

 太くて、よく通る声だった。俺は隣にいた梶原の目をさっと見る。向こうも目を合わせて、鼻をすっと鳴らした。通じているようだ。

「決まったやつから言ってって」

 雑な学級委員は名簿をひらひらと上に掲げる。俺と梶原は、もちろん一番最初になんていかない。煩いやつらが全員書き終わってから、そっと書きに行く。それだって、しっかり通じ合っている。

「うわ、奇数じゃん、誰か余るのかわいそ」

 ぼそっという声が聞こえる。ぴくりと肩が動くやつがいる。梶原がいて良かった。彼は最高の親友だ。

 学級委員は早々によく一緒にいる陽キャとペアを決めたようだ。ふざけ合ってはぎゃははと笑っている。もう少し待とう、と、梶原とこそこそ打ち合わせる。

「お、下沼さんどうしたの」

 でかい声につられて、みんなが一斉にそちらを向く。前黒板のほうから真っ直ぐにこちらへ歩いてくる、長い黒髪の女の子がいた。

 下沼さんはクラスで一番人気の女の子だ。手触りの良さそうな髪の毛も、良い匂いのする白い肌も、弾けて飛びそうなぽってりとした唇も、誰もみな一度は触れたいと思ったことだろう。煩い陽キャ男子どもも、下沼さんにはにやにやして優しい声をかける。彼女ははきはきとした声で答える。

「女の子も奇数だから、余ったの」

 どくんと、心臓が跳ねる。隣の梶原が唾を飲む音が聞こえた。いや、まさかな。

「えーじゃあ、俺と組む?とか言って」

 低い声で必死に冗談ぽくしているのが痛々しい。下沼さんは目もくれず、一直線に、男子たちをかき分けて歩いてくる。おいおい、うそだろ?

 彼女はすたすたと歩いて、そして、目の前で止まった。

「梶原くん」

 は?

「一緒にやろ」

 梶原の重たい前髪を持ち上げて顔を覗き込みながら、笑いかけている。クラス一の美女が。あの、梶原に。

「えっと…」

 梶原はちらっと俺を見た。俺は目で訴える。見るな。下沼さんは続ける。

「嫌なの?」

 梶原の顎のすぐ下に、下沼さんの小さな鼻。俺の頭はとても冷静に、下沼さんって積極的なタイプだったんだなと頷いていた。

「嫌じゃないけど…」

 なおも俺を見る。俺に悪いと思っているのだろうか。そんなこと思わなくていい。素直に生きろ、親友よ。

「じゃあ、嬉しい?」

 小首を傾げる下沼さんは、今まで見たどんな生き物よりも美しかった。さぞテンパっているだろうと親友を見ると、俺に少し目配せをしてから、下沼さんに目線を合わせてふっと笑った。

「嬉しいよ」

 そして下沼さんの頭に右手を乗せてくしゃっと撫でた。俺は、きっとその場にいた全員も、あいた口が塞がらなかった。最高にかっこいい俺の親友は言った。

「一緒にやろう」

 下沼さんはほんのり頬を赤くして目を逸らす。折れそうな細い両手で梶原の腕を持ち上げて、

「ムカつく」

と笑った。それからくるっと後ろを向いて、来たときと同じようにすたすたと歩いていった。みんなは堂々と戻っていく下沼さんを見送って、でも俺は、彼女を愛しそうに見つめる親友から目が離せなかった。

 視線に気付いた梶原がごめんと囁いて、俺は慌てて、自分のペアを探し始めた。でもそのごめんは、黙っていたことに対してだったのかもしれない。誇らしいような、それでいて少し寂しいような、曖昧な気持ちだった。

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