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迷子と地平線

 窓の外はオーシャンビューで、まっすぐな地平線が海と空の青を区切っている。空だってすごく青いのに、海のほうが濃い青なんだな、と私は初めて知る。それを写真に撮ろうとしてスマホを取り出す。あれ。

 あれ、ここ、ワイファイ繋がるじゃん。やった。

 気が変わって、スマホを横に持ってゲームを始めた。今はイベント中だから、少しの時間も無駄にできない。最近はいろいろ放り出してゲームばかりしている。

 ワイファイ強いな。バトル中の映像がすごく綺麗だ。うっとりと見つめる。

「おーい、地平線さん」

 スマホを前をすっと指が通過して、顔をあげると榊くんがにこりと笑った。horizon地平線。私のゲーム内での名前だ。

「やほ。ほりちゃん、またゲームしてんの」

「イベント中なんだもん」

「そんなん、あとで課金しようぜ」

 さかきくんは伝票を取り上げて歩いていった。私も慌てて後を追う。榊くんには少し強引なところがあると思う。

 カフェを出て、テラスを進んでいく。榊くんの肩甲骨が、薄いTシャツに浮き出ている。触れたくて、手を伸ばす。

「堀ちゃん、海、すごいよ」

 榊くんはごく自然な流れで私の手をとった。こういうところ、慣れてるんだよなぁとため息が出そうだ。

「ほんとだね」

 ひかれるままに、駆けていく。

 熱い砂浜に、サンダルの足が沈む。うわ、あっちぃな、と騒ぎながら、榊くんはどんどん走る。海までたどり着いて、構わず入っていく。ぬるい。ぬるい水が、いやお湯が、足に絡みつく。

「あー気持ちいい」

 膝くらいまで浸かって、ようやく榊くんが止まった。榊くんの半ズボンは裾がうっすらと濡れている。

「もう、はしゃぎすぎだよ、榊くん」

「堀ちゃんも楽しいだろ?」

「まあね。でも暑い」

 榊くんがポケットからスマホを取り出す。地平線の彼方を見つめてシャッターを切る。それから、私に向かって、一枚。

「あ、ねえ、いきなりやめてよ」

「なんで?」

「変な顔してた」

「そう? 可愛いけど」

 ほんと、慣れてるんだよなぁ。からっと明るくて、いつもみんなの中心にいる男の子。どうして私に構っているのか不思議になるくらい。

「綺麗だな、海」

「うん」

「地平線、遠いな」

「うるさい」

 榊くんが一歩近づいたから、私は一歩避ける。もうじゅうぶん近くて、日焼けかってくらい頬が熱い。

「でさ、本題なんだけど」

「ん?」

 何だろうと思って見ると、榊くんはもう一度、カメラを向けてきた。だから私は後ろを向く。白い砂浜が眩しい。

「堀ちゃんは、最近何に悩んでるの」

 背中から声が降ってくる。どきりとした。

「ゲームばっかしてさ、まあそれは前からだけど、でもみんなに連絡もなしにさ」

「今イベント中だって言ったじゃん」

「だからじゃないでしょ」

 近づいてくる。水がばしゃばしゃと音をたてる。膝の裏に跳ねる。

「吐いちゃいなよ。気持ちいいぞ」

 持ち上げたスカートが濡れている。スカートなんて履くキャラじゃないのに。どうせまた、みんなに言われるんだ。媚び売ってるとか、彼女でもないのに思い上がってるとか、榊くんからの連絡だけは返すとか。私はもともと連絡をとるタイプじゃないの。榊くんが、特別なだけなのに。

「聞いてる? 堀ちゃん」

 そっと首に手を回される。ほんと、慣れてるんだから。でも私は知ってる。方向音痴の私がひとりで地図アプリなしでたどり着けるようになるくらい通った榊くんの家で、榊くんは私に一切触れなかった。嫌がることはしない、いい人だって知ってる。だから、榊くんの肌がこんなに熱いなんて初めて知った。

「榊くんのばか」

「堀ちゃんだってばかだ」

 強い力で抱きしめられる。こんなふうに言われたら、なんだかほんとうに、私がばかだったような気がしてくる。

「相談しろよ」

 耳もとで囁く。やめて。今私、耳真っ赤だから。それに榊くんに相談したって仕方がない。これはちょっと仲がいいからって調子に乗っている、私の問題で。榊くんは割と誰にでもこんな距離感で、特別な意味なんてなくて。みんなの言うとおりきっと、ただの思い上がりだ。それでも私は、なんと言われても今のポジションを変えたくなくて。

「だって俺ら、付き合ってんだろ」

 え?

 …え?

「それに、ゲームばっかしてると息詰まるぞ」

 ちょっと待って、そんなこと一度も言われてない! だからみんなにも付き合ってないって言って―。

「堀ちゃんのばかー」

 榊くんは重たい水を引きずって走り出した。にやりと笑っている。私も追いかける。スカートがびしょびしょだ。

「ばか、ワイファイ魔人、ゲームオタク!」

「榊くんだってゲーム好きのくせに!」

「ゲームより堀ちゃんのほうが好きだわ!」

 振り返って、叫ぶ。もう、ほんとに、このひとは。

「私だって!」

 大きく広げられた腕に、飛び込む。付き合ったと知れたらどう思われるんだろうか。別に何も解決していない。それでも、この熱を、離したくない。

 久しぶりにお腹いっぱい浴びた太陽の光が、地平線の先にきらきらと降り注いでいた。


このお話は 迷子と回り道 の続編です。榊くん、わる〜い男の子ですが、堀ちゃんのことちゃんと好きなんですよね。悩んでいるのを心配して外に連れ出すなんて少女漫画みたい。
あと、アカウント名にこだわってみました。horizon。全国の堀さん、お使いください。お読みいただきありがとうございます。

最後まで読んでくださってありがとうございます。励みになっています!