花嫁さん
緑色の池に、カモが連れ立って浮いている。意外と素早くて、時折、ちゃぷんと潜っては1メートルくらい先から顔を出したりする。よく見るといろんな色をしていて、茶色というだけじゃない、例えば黒っぽい体に金色の顔だったりと、個性がある。
わたしはそれをぼんやりと眺めている。硬いベンチで足を組んで、ついでに腕も組んでいる。ふと思い立って、ベルギーワッフルの包まれていた紙を丁寧にたたむ。小さく小さくしてから、鞄の内ポケットに押し込んだ。
小さな鞄の中から、香水を取り出して振る。煙草の臭いはさすがに今日はしないと思うけれど、怖いから振りすぎてしまう。
女の子がはしゃぐ声が聞こえてもう一度池を見ると、カモたちの近くを、スワンボートが泳いでいた。彼氏らしき男の子が一生懸命漕いで、それを女の子が楽しそうに動画におさめている。
ああ、かわいいな。
別々で乗って競争しよう、と、提案して引かれたのはいくつ前の彼だっただろう。一緒に楽しみたかっただけなのに。別れたいの?と聞かれて、違うと主張できなかった。わたしの「好き」はいつも伝わらなくて、相手も、わたし自身も、半分ずつ傷つく。
後ろのスワンボートには家族が乗っていて、真ん中の小さい女の子がお父さんの膝に乗ろうとして危ないと諌められている。家族。真ん中に子どもを座らせて、その頭を愛おしそうに撫でる若いお母さんを眩しく見つめた。
わたしとそう年の変わらない女性だ。あの子はどうやって、あのポジションを手に入れたんだろう。お嫁さんになって、お母さんになって。うらやましい。
スマホが震えた。陸斗から「少し遅れる」とごめんなさいのスタンプ。「早く会いたいよ」と打ちかけて、消す。結局「りょ」だけ送るわたしはほんとうにかわいくない。
インスタで見かけるカップルインフルエンサーの、理想のようなデートvlogも結婚式準備の様子も、全部いいねはせずに保存している。自分は男の影なんて一切あげたこともないのに、そういうのを少し、いや結構、うらやましいと思っていて、理想が高いのはわかっているけれど、たまには昼間からベタなカップルみたいなことだってしてみたいのだ。例えば公園でお弁当を食べたり。
料理はうまいほうだと思う。お弁当もうまくできた。今日は楽しみだったから、かわいらしく盛り付けもした。絵本に出てくるみたいな籠に入れて、白いレースの布で包んだ。センスだって悪くない。ちゃんと公園に相応しい服装を選んだ。細身のGパンをすらっと履きこなすのはスタイルが良いからだ。顔だって、ちょっといじっちゃったけれど、だからこそ悪くない。
割と優良物件なのに、どうして続かないんだろう。今回の彼は大切にしてくれるかな。
陸斗から、またライン。「もうすぐ着く」って。わたしは急いでリップを塗り直して、手鏡やら香水やら散らかしたものたちを鞄にしまおうとした。そのとき、風のない穏やかな午後に一瞬の嵐。
前髪が崩れないよう押さえた瞬間、お弁当の籠に乗せていた白いレースの布が飛んでいくのが視界の端に映った。中からお弁当箱が露わになる。
あ、と思って、目で追った。咄嗟に手を伸ばすこともできなかった。白いかわいらしい布は青い空を舞った。あんなにかわいいもの、わたしには似合わなかったんだ、と言い聞かせた。公園の砂の上に落ちたものをもう一度お弁当に被せるなんて、そんなことできない。布は美しく飛んでいく。その先には、陸斗がいた。
口を開けたまま間抜けな顔で見つめていたわたしと目が合う。
「これ菜花の?」
「うん、ありがとう」
陸斗はレースの布を受け止めて、こちらに歩いてくる。遅くなってごめんね、と言いながら、ゆっくりと。わたしはぽかんとそれを見つめていた。そして目の前で立ち止まると、
視界が白く染まった。
「え?」
「はは、花嫁さんみたい。似合うね」
白いレースをめくって、陸斗は笑った。ちらりと周りを見渡してから、軽くキスをした。ヴェールの中でわたしの顔が火を噴いた。
「お弁当食べようよ、お腹すいた」
陸斗が数歩歩いて、わたしの隣に腰掛ける。
「うん、食べよ」
わたしは頷いて、でも、まだ陸斗のほうを向けなかった。前髪が崩れないようにヴェールを外しながら、浅い息を何度も何度も吸った。
はしゃぐ女の子の声が、またどこかで響いている。
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