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知らない柔軟剤

 背中にぴったりとくっつく。ごつごつした肩甲骨を撫でる。大きく息を吸うと、知らない柔軟剤の香りが鼻をついた。

 バイブが震えて、背中がもそもそと動いた。それより早く手を伸ばして、すぐるのポケットからスマホを取り出す。通知に目を通すと、いつもの名前があった。

「また、高野たかの杏里あんりさんから」

「返せよ」

 傑は眉をひそめてこちらに向き直った。傑のこんな顔は滅多に見られない。

「人のスマホ見るなんて最低だぞ」

「今までは何も言わなかったじゃん」

「言わなかったけど嫌だったんだ」

 怒っている顔も好きだった。誰がなんと言おうと、私は傑のすべてを素敵だと思っていた。文字通りすべて。傑のすべてを知ったうえで、そう思っていた。

香乃かの

 高野杏里。傑の一番は、いつから私じゃなくなったんだろう。

「…付き合ってるの?」

 聞かなくていいのに、聞かないほうがいいのに、私は聞かずにはいられなかった。顔の緊張が緩んで、傑は少し困った顔になる。この表情も素敵。

「…うん」

 囁くように言って、私の手からスマホを奪う。ちらりと通知に目を通してから、私に向き直った。それから言う。

「付き合ってる」

 はっきりと。私はどうしたってその低い声にときめいてしまう。傑の喉仏が大きく首を一巡、結ばれた唇、力のこもった口角が私を誘惑する。私は傑の何もかもを知っているのよ。それなのに。

「そうなんだ」

 私は笑った。笑顔なら誰よりも得意だった。常に隣に好きなひとがいる緊張感を、高野杏里は知らないだろう。好きなひとの前で笑顔で居続ける難しさを、高野杏里はわかっていないだろう。

 傑の好きなものを好きになりたいと、そう願ってきた。傑の好きなアニメも映画も、全部隣で見てきた。高野杏里はまだ好きになれない。

 ヒロイン役は私だと思っていた。こんなに完璧なのに。ずっと一緒にいることが不利になるなんて思いもしなかった。

 高野杏里を想像する。私のほうがいいに決まってる、と思う。でもそんな、見る目のない傑さえも、かわいく思えてしまって情けない。

「告白もしてないのに、振らないでよ」

 口に出すことはない。まだだからだ。傑の一番は、いつかまた私に戻ってくる。

 向こうを向いてスマホをいじり始めた傑の、背中にぴったりとくっつく。私にぴったりの大きな背中。ごつごつした肩甲骨。襟足から覗くうなじ。

 ヒロイン役は私。


このお話は 明けの明星  いちばんの距離 の続編です。三角関係の、三人め。ずっと香乃ちゃんを悪者にしてきたので、書きたかったんです。いちばん苦しいのは彼女でしょう。柔軟剤の香りは結局、昔から慣れているもののほうが良いなと思うのは私だけかもしれませんが、戻ってきてという香乃ちゃんの願いを込めて。お名前に合わせたモチーフです。

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