無垢な瞳
あの、目よね。ちょっと鋭く光らせているけれど、よく見ると丸っこくて、綺麗な色をしている。いい大人なのに、そういう目をしているひとがたまにいる。自分に自信があって、努力もしていて、でも、実は結構純粋なの。
私はそういうひとにさっと寄っていって、得意の「褒め」を実践する。褒められるとやっぱり嬉しいのね。自分の話を始める。嬉しそうに聞いてあげていれば、ほら。いつの間にか、私が店のナンバーワンってわけ。
要は、目なのよ。人の見分けるポイントはね。
彼はそんな目をしていた。髪の毛は傷んだ茶色。もともとくせっ毛だったのか、遊ばせすぎてそうなったのかは知らないけれど、すごくふわふわしていた。鳥の巣みたいな頭だった。でも、目がとても綺麗だった。高そうな黒いスーツに身を包んだ彼に、私は近づいた。
彼は塾講師をしているらしい。まだぎりぎり二十代でやんちゃな感じがするけれど、聞けば複数の塾で引っ張りだこで、いろんな模試で試験を作ったりもしている超エリート講師らしい。自分で言うなんて信憑性が薄いわ、と思って調べてみたけれど、確かに名前が載っていた。
お勉強のできるひとなら、なおさらちょうど良かった。でも、こんなにうまくいくとは思っていなかったの。
あの日、お店以外で飲もうと誘われて、私は行った。ほとんど個室になっている焼肉屋だった。彼はもう一人塾講師仲間を連れてきていて、三十路の男の人ふたりと飲んだの。そのひとはすごく嫌な感じだった。私のこと、ただの女としてしか見ていない、濁った目をしていた。
きっと、そういうことになるんだろうと思っていた。他の客とも同じようなことしたわ。頼まれて、たっぷりお金をもらってね。これで通ってくれるなら全然安いわよ、私の体なんて。
でも、彼は今までのひとと全然違った。
私がトイレに行ったあと、酔い醒ましにとふたりが勧めてくれた烏龍茶は変な臭いがした。にやにやと、彼の目が笑う。すごく純粋な色をして、私を誘っている。ああ、なるほどねと、納得した。だってこのひとたち、頭がいいんだもの。薬を用意するのなんて余裕なんだわ。そして、そういうのが好みなのね。どういう薬なのか知らないけど、いろんな大人がハマって堕ちていくくらいだからきっと気持ちがいいんだろう。わかってて、騙されてやるつもりで飲んだ。そうしたら思っていたのと違ったの。
彼らは頼んだりしなかった。声をかけさえしなかった。言ってくれれば、いいよって答えたのに。それどころか、意識を奪ったのだ。
起きたとき、私は自分の部屋にいた。嘘みたいに晴れた梅雨前の朝。綺麗に服を着て、でもなんだか体がだるくて。下着が汚れていた。私はそのまま警察に行ったわ。尿検査で睡眠薬が検知された。ただの、睡眠薬。私は、烏龍茶の臭いなんて何も知らなかったことにした。純粋な、汚れのない女の子を装って、被害者として振る舞った。もともとお金をもらってするつもりで飲みに行ったのに、無理やりされたら被害届けだなんて笑っちゃうけれど。
ふたりは捕まって、示談になって、お金をわんさかもらった。ただ頼まれてするより、もっとずっと多く。私は卑しい女だ。
彼らの人生は壊れてしまったんだなと、ぼんやりと思う。私の、体を売っているような女のために。彼が頑張ってお勉強してきた過去とか、優秀な彼に教わるはずだった塾の生徒とか、全部なくなってしまった。彼の目も。
彼は行為中、どんなふうに顔をしかめただろうか。意識のない私をどう見つめたのだろうか。
優しい茶色をしたあの綺麗な目は、もう濁ってしまっただろうか。
私は夜の仕事をやめた。周りは、あんなことがあったものね、みたいな顔をしていたけれど、単にお金が入ったからだ。それに、もう人の人生を壊したくない。
私の好きな、ビー玉みたいな曇りのない目を、もう奪いたくなかったのだ。
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