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恍惚

 ときどき、これまでどうやって生きていたか、何をもって生きるとするか、私とは何か、そういったことがらについてひとつひとつ、立ち止まって頭を巡らせねばならないときがある。頭の中にふんわりとへばりついている「自分」みたいなものに形をつくってやらないといけない、という焦燥感に、それはもう突然、一瞬にして襲われて頭を覆い尽くされ、爪を立て皮を破り、私は停止する。それは例えばこういった、濃紺の上の残影を見ながら線路の隣を歩き始める瞬間に多い。

 私は確かに、自らの問いに対して毎度答えを見出しているのだが、それは日常の中に流れ消え失せるようで、また問いが湧き出る頃には私はもう何もかも忘れて再度ただ立ち尽くしてしまう。

 どこへ進めばいいのか、わからなくなるのだ。

 例えば将来のこと、理想に向かって少しずつ歩んできた今までの道はすべて一本隣の道だったような、そしてそれが全部戻らないとやり直せない行き止まりだったような気持ちになる。私は何がしたかったんだっけ、私はなんのためにこんなことをしたんだっけと考えては絶望する。

 例えば現在のこと、やらなくてはならないたくさんのことが私の頭の中をよぎって、その優先順位がわからなくて頭を抱える。ぜんぶぜんぶぜんぶ頑張りたいのに、どれひとつ頑張れていない自分に失望する。頑張り方すら、忘れてしまったようにわからなくなる。

 例えば過去のこと、すべてまっしろになったようにひとつも思い出せない。私が今までに成し遂げたことがらが、成し得るはずだったことがらに隠されて見えなくなる。この二十余年、何一つできなかったのだと思い当たる。それが普通だと言い聞かせようとする自らを軽蔑する。

 そんな一瞬、私は道の真ん中で立ち止まって、心の中の自らに問いかける。

 私は生きているか、と。

 生きているのは、ちゃんと「私」であるか、と。

 凛咲りさが、振り向いて手を差し出した。ふっと笑った気がした。恐る恐る手を伸ばす。小さい手に、触れる。

渚沙なぎさはさ、」

 ぐるぐると回る頭の中に、凛咲の指の形が刻まれる。皺のひとつまで詳細に、繊細に、指の腹で辿る。

「何やってても大切な渚沙だよ」

 強く握られる。私の手はそのとき、あぁ、ここにいた、と感じる。この手に導かれ、この手とともに、ここにある。それだけがほんとうだと、そう感じられる。

 光を与えてくれる存在がいる。今までの人生が報われた気がした。

 私は生きているぞ、と、歌うようにうっとりと、思う。

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