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冷たい手

 幹事が大声をあげたので注目すると、いつの間にか幹事のすぐ隣に小山さんが座っていた。椅子の上に体育座りで。みんなは次に、俺に注目する。俺は、やべ、と思う。

「小山さん…」

 小山さんは、んー? と音を伸ばしながら、ふふっと軽やかに笑った。

「なあにー?」

 えっと。いつもと全然違う声と表情に戸惑う。さっきまで俺が延々と語っていた、よく通る強い声や凛とした表情やピンと伸びた背筋やまっすぐ射抜く視線や、そういった彼女の素敵なところを全部奥に引っ込めて、また違った良さをちら見せしているみたいだ。赤らんだ頬にどきりとする。

「今の、聞こえてた?」

 幹事が、気の毒そうな声を出した。小山さんはふふっと笑うだけだ。

「わたし、もう帰ろうと思うの、だからお金渡そうと思って。これで足りる?」

 正確に表記するならラ行をヤ行に変えながら、小山さんはふにゃふにゃと喋った。千円札を何枚か押し付け、足を伸ばして立ち上がる。その瞬間、ふらっとよろけた。

 ぺたんと座り込んで、俺たちを見上げて、ふふっと笑った。

「こりゃ小山さん相当酔ってんな」

「おい野上、送っていってやれよ」

「そうだよ」

 周りが口々に勝手なことを言う。座ったままの小山さんが、んーと唸る。幹事に腕を掴まれて立ち上がっている。気付けば足が動いていた。

「小山さん、送ってくよ」

 幹事から強引に引き剥がすと、小山さんはまた座り込んでしまった。わ、ごめん、と手を差し伸べる。いいよぉ、と彼女は言った。

 それから、にっこりと笑って、俺の手を握った。冷たい手だった。女の子の手という感じがした。

 立ち上がっても、彼女は俺の手を離さない。

「手、冷たいね」

 歩きながら、俺はぽつりと言った。

 あちこち光る夜の街も冷たい空気に満ちていた。ふたり、足音も立てずに歩く。店が遠ざかるに連れて、足取りは遅くなる。

 駅が見えると、小山さんが、くっくっと笑った。

「そりゃ、酔ってないからね」

 それから、手をぎゅっと握る。俺の左手の指が強く包まれる。え、と声を出すと、小山さんは立ち止まった。信号が点滅している。

「酔っ払いの手が冷たいわけないじゃない」

 本当におかしそうに、くっくっと笑った。両足でしっかりと、背筋を伸ばして立つ姿は、いつものように美しかった。

「怒った?」

 自分の心臓の音で思考がままならない。どういうことだ。酔っていなかった? なぜ?

「あのね」

 光る声にくらくらする。お腹の奥底まで震えるような、大好きな、憧れの、小山さんの声。

「野上くんって、わたしのこと、好きなの?」

 街灯を反射した丸い目が、俺に向かってまっすぐに刺さる。そうだ。酔っていなかったということは、あのとき、俺の話を、はっきりと聞いていたことになる。

 何も言えずにうつむく。俺の体温で、小山さんの指もほんのり温まってきていた。綺麗な指の先をじっと見つめる。

「ねえ、好きなの?」

 息を吸う。酔っているのは俺のほうだ。頭に血が上って、何も考えられない。

 好きだよ、と、ぼそりと言った。すねた子どもみたいな声になってしまった。おそるおそる、小山さんを見る。嫌がるかな。怒るかな。それとも。

 彼女は目を細める。

「良かった。抜け出した甲斐があったわ」

 もう一度、手をぎゅっと握って、笑う。真っ赤な信号が、ふたりを見下ろしている。でもそんなの関係なくて、顔から火が出そうなくらい熱い。

 たくさんの車が行き交う中、小山さんの声が、歌うように続ける。

「酔っ払った状態がめんどくさくて、野上くんはわたしにマイナスイメージをもつ。わたしは酔っ払っていて、今日のことは何も覚えていない。これが、みんなから見たわたしたち」

 車の流れが止まった。静まった夜に、響く。

「けど本当のところは、わたしたちは今日から恋人どうしになる」

 ね、と言って歩き出した小山さんを後ろから追いかける。まだ青に変わったばかりなのに早足な彼女は、ほんのり温かい手を大きく振って歩く。

 なんと声をかけようか迷いながら、こんな彼女のことを、誰にも話したくないと、そっと思った。

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