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旅先にて

 私のじゃないスマホのバイブレーションがうるさくて、はあと息をつく。部屋の電気をほんの少し付けたまま眠るのも苦手だ。だんだんと大きくなってきた光の粒が合体して、もう朝になった。結局ほんの少しうとうとしただけで、あまり眠れなかった。

 静かに起き出して、洗面所に向かう。小さな鏡を覗き込んで、くまに気付く。もう一度はあと息をついて、蛇口をひねった。

 顔を洗って、スキンケアして、下地を塗って、くまだけ隠して、十分かからないくらいだろう。庸介は小さくいびきをかいて寝ている。スマホのバイブがまた鳴る。

 寝るときは、音、消してよ。

 もし私がそう言ったら、庸介がなんと返すか想像してみる。

 なんで、とか。いいじゃん別に、こんな小さい音わかんないだろ、とか。あるいは、はいはい、と聞き流されたりして。

 きっとごめんとは言わないんだろうな。卑屈な考えに自嘲する。狭い洗面の冷たい水で、全部洗い流す。化粧水を叩き込みながら、かさついた頬のてっぺんをつまんだ。

 ETVOSのパレットの真ん中、オレンジ色のコンシーラーを、最近まで使ったことがなかった。涙袋の下の青いくまに三点乗せて、指で馴染ませる。自然で健康的な、明るい肌の出来上がりだ。くまがあったことなんて、鈍感な庸介にはわかりゃしない。リップクリームをさっと塗る。

 浴衣の帯を直して、ベッドに戻る。そこら中に浮いた朝の光に透かして、上を向いた庸介を横から眺める。

 柔らかな表情をしている。安心しきった寝顔。いつも皺の寄った眉間も、強く閉じられた唇も、今は緩んでいる。

 私はもう、それだけで、幸せすぎる気がしている。

 恋だとか、愛だとか、知らない。優しさも、気遣いも、要らない。ただ、あたたかい。

 小さなサイドテーブルに置かれたスマホが、もう何度も震えている。そのたびに黒い画面に浮かぶラインの通知を、私はもう目で追うのをやめた。誰だって同じだ。すべてを知ることはできない。すべてをさらけ出すことも、できない。

 庸介は大きく息を吸い、ふと目を開けた。何度か瞬きをし、目をこすり、こちらを向く。

「ん? おはよ」

 私は目を細める。朝のカーテン越しの柔らかい光が、部屋の小さな電球をさらに小さくして、壁の角の方だけにまだ少し夜を残す。庸介の眉間にまた皺が寄っている。私は、すっぴんみたいな顔をしてふわりと笑う。

「おはよう」

 浴衣のはだけた庸介は、堅い表情で体を起こす。それから当たりを見渡して、スマホを手に取った。

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