香水瓶
テーブルの上に並んだ香水を見つめている。差し込む光を反射した色とりどりの瓶が綺麗で、見ているだけでうっとりする。香水は好きだ。メンズだけでなく気に入ったものは集めている。だからこんなふうに、たくさんの香水を見ると美しいと思う。
うっすらと、音楽。流行りの邦楽が適当にメドレーで、スピーカーから流れている。皮肉るような歌詞と優しい声、ありきたりな伴奏に引っ張ったメロディ。好きなんだか嫌いなんだかわからないラブソング。
息を吸う。
「えっと」
こういうとき、どんな話題が相応しいのか俺には全くわからない。仕方なく苦笑しながら、どうでもいい話を振る。
「好きな食べ物は?」
くっ、と、聞こえた。彼女はくっくっと笑う。昨日と同じ、少し低い声で。
「何そのくだらない話」
ごめん、と言うと、彼女はまた笑った。
「いいよ、くだらない話をしよう」
好きな食べ物は豆腐全般。さば。かぼちゃ。好きな色は緑。ぱきっとした鮮やかな緑も好きだし、くすんだ優しい緑も好き。それから、音楽は何でも聴く。クラシックからロックまで。普段は適当に邦楽を聴いている。休日は目的地もなく車を走らせて、遠くの海岸で江國香織を読んだりする。
「それ、ちょっと盛ってない?」
「ばれたか」
彼女は楽しそうに笑った。
「でも、一回だけ本当にしたことあるよ」
かすれた、女の子にしては低い声で。俺の背中をくすぐるように話す。
「車にはGUERLAINの香水を振って、晴れた日に、朝から走ってさ。気付いたら一般道しか使ってないのに浜松のほうまで来ていて。海岸で降りて、ぼーっとしたり本を読んだりしたの」
「なんでそんなことしたの?」
「まあ」
昨日のMargielaをまだほんのり香らせながら彼女は息を吐いた。ゆっくりと。定番の、誰もが気に入る香りが、彼女の動きに合わせて立ち上がる。
「昨日と同じかな。現実逃避?」
それから、もぞもぞと寝返りを打った。声が少し遠くなる。
「普段の私から逃げる、みたいな。私、いつもこんなことしてるわけじゃないのよ」
俺もテーブルから目を離して寝返りを打つ。目の前に、透き通る白い背中。朝の光を吸い込んで、どの香水瓶よりも美しく光っている。なめらかなラインに触れたくなるのをぐっと抑える。
「昨日は、加藤さんがいい香りさせてたのも悪いけどね」
俺のPRADAはもうほとんど香らない。でも昨日肌を重ねたときは、彼女のMargielaと混ざってうるさいくらい濃く香った。彼女の背中のほくろと、その上の赤い跡と。よく手入れされた美しい肌に、今日の俺はもう触れない。
そろそろ起きなくちゃ、と、彼女が呟く。カーテンから朝の柔らかな光が漏れている。彼女の肩と背中と髪の毛とその隙間から見える耳を光らせている。
瞬きを一つ。
布団を少し持ち上げて、そっと抜け出す。彼女はこちらを振り返らない。今日俺がこの部屋を出て行けば、彼女はまた自分の現実へと戻っていくのだ。
呼吸を一つ。
心地良い香りが流れてくる。テーブルの上にGUERLAINのゴールドの瓶があるのを見つけて、ふっと微笑んだ。
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