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青の世界

 ここの水族館は最後の最後に大水槽があって、エイとかサメとかがたくさん泳いでいる。そんなのは調査済みだったので、今あげた「わぁぁ」という感動の声は、壮大な青に魅せられる気持ちが三割、これから起こる出来事に対して、うまくできるかどうかの不安をかき消したい気持ちが七割といったところだ。

「綺麗だね」

 私は言う。声が震えそうだ。手はすでに震えている。こんなに緊張するのはいつぶりだろう。大丈夫。たぶん大丈夫。自分に言い聞かせる。

「うん、すごく綺麗」

 さとるくんは本当に感動したみたいで、青に包まれて水槽を見上げている。目がきらきらしている。今どき水族館でこんなにピュアな反応をするひとは私の知る限りでは聡くんだけだ。愛おしい。この愛おしさを利用して申し訳ない。

 アシカのショーがあるとかで、つい先ほどアナウンスが入って人の塊がそっちに流れていったので、今はだいぶ空いている。これも計算済み。ちらほらと人はいるけれど、別に良いだろう。水族館は少し薄暗くて、並んで立ち止まる口実があって、デートには最適だと思う。

 息を吸う。震える手を伸ばす。さあ、始めよう。聡くんの黒いコートの袖口を掴んだ。

「どうしたの?」

 エイのお腹ににこやかに答えていた聡くんは振り向いた。私はゆっくりと目を逸らす。それから、指を、からめる。

「え、なに、どうしたの」

 聡くんは拒まない。よし、と思う。もう一度目を合わせる。

「だめ?」

「えっと、だめ、じゃないけど」

 青。私も聡くんも青く染まって、水の中にいるみたいにふわふわと漂う。放っておくと離れてしまうから、手を繋ぐ。しっかりと。ぎゅっと握って、恥ずかしくなって顔を背ける。

「付き合ってもないのに」

 聡くんが呟くのが聞こえた。聡くんの指は温かかった。声も、温かかった。まるで水の中にいるみたいにゆっくりと聞こえる。

 あとひと押し。今日頑張るって決めてきたんだから。聡くんの肩にそっと、頭をぶつける。

「私、今、結構勇気出したんだけど」

 声まで震えてしまった。でも、たぶん、いい感じ。恐る恐る、ちらりと見上げると、聡くんは、やられた、っていう顔をしていた。きゅんっ、とか、愛しいっ、とか、そういう顔。しかもその顔は、今まで見たどの表情よりもかっこよかった。返り討ちにあった気分だ。

 なんか言ってよ。そう思うけれど、少し待つ。聡くんの言葉を、待つ。手がぎゅっと握られる。口を開くのが、息遣いでわかる。全身で待つ。小さな声。

美海みみ。好きです。俺と、付き合いませんか?」

 ふっと、止めていた息が漏れて、そのまま泣きそうになる。やっと聞けた。やっと聞けた。肩に顔を埋めたまま、こくこくと頷く。聡くんはもう片方の腕を伸ばして、私の頭をぽんっと撫でた。きっと今、またあの愛しいって顔をしているのだろう。見たいけれど、顔をあげられない。でもいい。これから何回でも見られるだろう。見られるように、頑張ろう。

「好き」

 エイのにこやかなお腹が通り過ぎていく。ふたりでぼんやりと、青の世界を眺める。しばらくして、アシカのショーの終わりを告げるアナウンスが入った。どうしても聡くんの口から聞きたくて練ったこの計画は完璧だったと言えるだろう。

 聡くんは海の中で、そろそろ行こっか、と私の手を導いた。

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