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いちばんの距離
雨が降っていた。夜の雨。しっとりと指を濡らす。傘、ないな、と呟く。
「あ、僕、あるよ」
そう言って、篠田が傘を取り出した。女の子の持っているような、可愛らしいデザインの傘だった。
「それ、噂の幼馴染みの?」
ぴったりと肩をくっつけながら、唇を尖らせる。篠田は肩を震わせた。
「そうだ。借りてたんだ」
わたしはふっと笑った。噂の幼馴染みの、小さな傘にふたりで縮こまって歩く。篠田が言った。
「ごめん、いい気持ちしないよね」
「なんで?」
「他の女の子の傘持ち歩いてるとか」
ふふっと笑う。なんか真面目なんだよね。別に態度がとかじゃないけど、根っこのところが真面目だと感じる。
「別に気にしないよ。そうやってちゃんと反省するとこ、いいよね」
それよりさ、と語り始める。もう何時間もカフェで語り合っていたのに、まだ足りない。今期のアニメはいいのがありすぎる。この間篠田に一気見してもらったやつの新シーズンもある。長いシリーズだから解釈もいろいろあって、キャラだってたくさんいる。語ることはいくらでもあった。
雨がしとしとと降る。靴にしみる。交互につき出す足を見つめながら、歩幅を焼き付ける。同じ速度で歩く。
途中、あ、と呟いて、篠田が傘をこちらに傾けた。
「どうしたの。篠田が濡れちゃうよ」
「いや、杏里が濡れるほうが良くないでしょ。気づかなくてごめん」
女の子の名前を自然に呼べるのも、幼馴染みがいるからだろうか。彼女のことも、こうやって雨から守るのだろうか。
篠田には彼女がいるともっぱらの噂だった。篠田の家に遊びに行った男子たちが、彼女とばったり出くわしたそうだ。その子は女の子らしく可愛くて、ふわふわした感じの子だと聞いた。
それで、初めて話したとき、彼女と同棲してるって聞いたんですけど、と言ったのだ。篠田は驚いていた。その子は幼馴染みで、確かに大切だけれど、彼女ではないと。
良かった、と思った。篠田を初めて見たときなんとなく、いいな、と思っていたから。柔らかな雰囲気がよかった。話してみると、趣味がよく合った。幼馴染みの彼女はよく出かけたがると篠田は笑った。インドアの僕には少し困ったさんなんだよ。
「ねえ、篠田」
ん、と答える。ねえ、篠田。できれば、わたしは篠田のいちばんになりたい。彼女よりも、近くになりたい。
「やっぱりわたし、篠田のお家、行きたい」
上目遣いで見つめる。涙が滲みそうだ。雨がわたしたちの周りを取り囲んでいる。篠田は困ったように眉を曲げる。
「今日は家は無理なんだ。また今度、誘ってもいい?」
瞬間、雨が止んだ気がした。音が綺麗さっぱり聞こえなくなって、でも交互につき出すつま先にはしとしとと水が降り注ぐ。目を逸らす。篠田の目は深かった。わたしは耳の先まで真っ赤にして、少し離れる。嫌われたかな。
焦っちゃだめ、と、彼女よりも、が混ざってぐちゃぐちゃになって、頭が狂いそうだ。さっきまで触れていた肩の熱が、冷たい空気に冷やされていく。
篠田はわたしが離れたぶん、また少し、傘を動かした。
このお話は 明けの明星 の続編です。そちらでは香乃と杏里の位置をわざと曖昧にしていましたが、実はこれを想定して書いていました。杏里目線で書くと、篠田くんの気持ちがちゃんと自分にあったとしても苦しいだろうな、そのくらい香乃の存在は大きいなと。お読みいただきありがとうございます。
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