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鳴いたことり

 天井、低いなぁと、頭上に青色のネットが張られた狭い構内を歩く。外から丸見えのスターバックスで、英梨えりは小説を読んでいた。窓越しに手を挙げると、ぱたりと閉じて立ち上がる。

「おっそいよっ」

 金色のしっぽを振って走り寄ってくるところは実家の犬に似ている。俺は思わずふっと笑った。

「何笑ってるの。あ、私ちょっとチャージする」

「うん」

 英梨は乗り越し精算をしようとして、あ、と残高を指さした。

「見て、すごい。電車賃が220円で、残高が221円。ぎりぎりセーフ」

「チャージしろよ」

「やめた」

 軽やかに改札を抜けて、これで私のPASMOパスモには1円しか入ってないんだわ、と楽しそうに笑った。

 英梨はこういうやつだった。自由で、どうでもいいことを楽しんで、鳥のようだった。

「ねえたける、今日はどこに行こうか」

「どこでもいいよ」

「ほんと? 浅草でもいいの?」

「じゃあなんで新橋集合にしたんだよ」

 銀座線に乗り換えるとき、英梨は残高1円のPASMOを守るためにわざわざ切符を買った。券売機に並んでいる金色頭を、俺はじっくりと眺める。美容院に行ったばかりなのだろう、根本までしっかりと染められている。黒いブルゾンとの対比できらきら輝いている。

「浅草だし、似たような格好してるし、私らデートみたいだね?」

 英梨がいつも黒い洋服しか着ないから、英梨と遊ぶときは俺もだんだん真っ黒になってきていた。細身の黒いスキニーに革靴。確かに似ている。少し恥ずかしいけれど、だぼっとしたズボンを履くとヒールで盛った英梨より脚が短く見えるから、それよりはましだ。

「デートじゃないだろ」

 ゆっくり、呟いた。英梨がこちらを見つめる。その茶色いきらきらした瞳が、何か訴えている、気がした。

「うん」

 レトロな木目調の車内で、髪の分け目を見下ろした。ふかふかの緑のソファに座った英梨が語る。

「浅草のね、メンチカツ食べたいんだよね。あれ美味しくない? 重たいけど。ていうか、この電車えらい可愛いな。あ、それとすっごく濃い抹茶のアイス食べよ。ほんとは着物とか着て歩きたかったけど、今私金髪だから」

「あのさ」

 口を挟む。相変わらず視線は金色の分け目を捉えていた。きらきらした瞳はつり革に捕まった俺からは見えなくて、膝に置かれた指がぷるぷると震えているのはちゃんと見える。

 毛並みの美しい小動物みたいな女の子を、俺は今からきっと傷つける。でもそれは、仕方のないことだと思う。

「前から思ってたけどさ、彼氏としたらいいじゃん、そういうのは」

 言い終わる前にどんどん俯いて、金色のしっぽが見えた。この角度にするとポニーテールの髪の毛はばさりと広がって、しっぽというよりは、どちらかというと、広げた翼みたいだ。

 どんなに翼を広げても、彼女は飛んでいけない。

「うるっさいなぁ」

 英梨は弱々しい声で暴言を吐く。

「できないから、言ってんでしょ。健って空気読めないよね」

 泣くのかと思ったけれど、泣いてはいないようだった。籠の中で小さく鳴いて、鍵が開くのを待っている。もしくは開いた鍵に気付かずに、きらきらした瞳で外を見つめている。

 それでもあいつが好きだって言うんだから、俺にはもうついていけなかった。してあげられることなんて何もない。慰めることも、代わりになることも、あいつを叱ることも改心させるなんてことも、それに、あいつに嫌がられたのだろう綺麗な金髪を褒めることすらもできない。まったく救いようのない馬鹿だ。英梨も、俺も。

「ごめん」

 謝ってほしいのは俺のほうだった。今この一瞬も、彼氏との沈黙を埋めるネタになるのだろう。浅草に着いて、お洒落なドアが開く。

「しょうがないな。メンチカツとアイスで許すわ」

 英梨はそう言うと、少し悲しそうな目をして立ち上がった。それから、残高1円のPASMOではなく切符を取り出した。

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