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スクリーン

 夜はだめだ、思い出は夜ばっかりだもの。全然だめだ。闇が映画館のスクリーンみたいになる。幸せだった頃の私たちが、大好きだった頃の彼が思い浮かんでは溶けていく。

 この道もだめだ。バイト先から駅までのでかい一本道、信号がいっぱいあって、運の悪いときは絶対全部赤信号で、毎回立ち止まって彼からのラインを確認して。途中の駅まで迎えに行くよの連絡が入っているときは、いつもスキップしちゃうくらい嬉しくて。彼の黒い車はいつもちょっと寄り道をした。東京タワーもスカイツリーも、首都高でひょいっと連れて行ってくれた。運転する横顔を眺めるのが大好きだった。切れ長の一重に、ときどき私の肩や手に触れる指先に、なるほどねと呟くその声に、いちいちどきどきしていた。

 イヤフォンから大音量で流れる音楽は、恋愛に関係なくてリズムが良くて彼との思い出がないものに絞ったら一曲しか思いつかなくて、ずっとそればかり聴いている。

 赤信号。立ち止まるのもだめだ、もう二度と右手に彼のぬくもりを感じられないことに気づいてしまう。

 私が悪いのに。私から告げたのに。別れる前は嫌なところばかり思い浮かんでいたのに、あの瞬間からは好きだったところばかり思い浮かぶ。品のないところは嫌いだったけど、私が何を言っても受け止めてくれる寛容さは好きだった。金遣いの荒いところは大嫌いだったけど、私の思いつかない楽しいことをどんどん提案してくれるところは大好きだった。顔自体はそんなに好きじゃなかったけど、ちょうど抱きしめやすい位置にあった上半身は愛おしかった。素敵な人だった。ほんとうに。びっくりするくらい、魅力的な人だった。そう思いたいだけかもしれないけれど。結局は私も、あの時間が無駄だったと思いたくなくて、ただ美談にしたいだけなのかもしれない。

 止まっていられなくて、左折。深い闇が待っている。視界がぐらついて、私はしゃがみ込む。ぶわっと涙が溢れて、はぁっと息を吐く。

 大きな明るい一本道を逸れるような別れ。突然深い闇に突き落とされたような別れ。彼、という単語が、いずれ別の人を指すことになるという悲しみ。

 別れても友だちに戻れるなんて嘘でしかない。だってもう、私は彼を嫌ってしまったし、彼は私を嘘つきだと思っている。何より、もう私たちは全部を知ったうえで、一緒にいられない選択をしたのだ。もう変えられない。

 もうきっと、車好きの男とは付き合わないだろう。もうきっと、品のない男とは付き合わないし、金遣いの荒い男とも、顔がタイプじゃない男とも付き合わないだろう。これからそういう男に出会うたびに、私は彼を思い出すんだろう。それで、一生悲しい。

 夏の終わり、一日の終わり、恋の終わり、幸せの終わり。

 終わりたくなかった、と思う。

 始めたくなかった、と、今は思う。

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