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蛇の砂漠

 恋がしたい、と、思う。

 あたしのこのくそつまんない人生を、勉強とバイトばっかりでくそつまんない人生を変えるには、恋しかない。だって、恋愛は楽しいって誰かが言っていた。楽しいことがしたい。恋を、したい。

 それで、頭の中に、身近な男の子を思い浮かべていく。

 窓の外で、雷が鳴った。カーテンを開けて、川の向こうのトーキョーを眺めている。

 仲の良いあいつはだめだな。悪いところまで知りすぎてしまった。幼なじみのあいつは普通にプライドが高すぎて嫌い。学校の子たちは、みんなひ弱なイメージが強くて話にならない。バイト先のあのひとは押しが強すぎて嫌だ。逆に機嫌をうかがうように下からくるあのひとも鬱陶しくて無理。

 夜の川は蛇のようにうねる。時折通る車のヘッドライトを反射して、艶めいている。打ち付ける大粒の雨は右ならえでその流れに取り込まれていく。

 未だにしつこく連絡をよこす高校の同級生は黒歴史と一緒にみんなまとめてポイ。サークルの先輩は、ぱっと見はちょっとありだけど歯が黄色すぎてがっくり。免許合宿で知り合ったイケメンは頭が悪すぎて話が通じない。昔通っていた塾の先生だった男とは一度寝たけど、身体中舐めてくるから臭くって、それきり会っていない。

 雨降りのトーキョーはとてもロマンチックだった。夜の闇を壊す点のような車たちは闇に溶け込んでいて、タワマンの群れは誰かの夢を壊しながら誰かの暮らしを灯している。

 恋がしたい。ばらばらと窓を叩く雨の音を耳に響かせながら思う。恋に笑って恋に泣いて、人生を捧げてみたい。

 ふと見ると、窓に反射する影がのそりと動いた。起き上がってこちらを見る全裸の男が、ふっと息を吐いた。あたしはゆっくりと振り向く。

 このひとは―。

 立ち上がってペットボトルの水を掴む男の腕をじっと見る。いい腕をしている。いい腕というのは、筋肉がすごいという意味ではなくて、抱かれたときに気持ちがいいくらいの適度な硬さを持った細い腕のことだ。

 じっと見つめていると、後ろでまた雷が鳴った。男の腹が少し、上下した。

「飲む?」

 口をつけたペットボトルを差し出してくる。不思議と嫌な感じはしなかった。紫がかった照明できらきらと光った透明があたしの手の中に渡る。

「窓の外覗くなら、服くらい着たら」

 心地よい冷たさが、あたしの中に吸い込まれていく。冷たい声。冷たい水。あたしの腹の中でぐるぐると回る熱がどんどん引いて、夜のトーキョーに飲み込まれていく。

「ん」

 蓋を閉めたペットボトルをベッドの上に放る。男は服を着始めた。あたしは夜のトーキョーに向き直る。トーキョーは怖い街だ。知り合いと知り合いの間に果てない壁のある街。誰が誰を好きで、誰が誰を嫌いでも、みんな見ぬふりをしてくれる街。だから好きだ。

 川がうねっている。車の点が流れていく。

 恋がしたい。時に沿って流れるだけの、綺麗な、くそつまんない人生を変えたい。

 でも。

 このひとは、彼女がいるしな。

 じゃ、お先に、と出ていくクズの反射光をうっとりと眺めた。雷の夜に彼女の元へと帰る男だ。他の女の匂いを振りまきながら、雷が怖いと泣く彼女を慰めるのだろうか。

 冷たい水が沁みて、雨になって、川を流れていく。蛇みたいな夜の川を、あたしの嘲笑がいく。

 あたしだってクズだ。こういうほうが楽なんだもの。好意を向けられるのは苦手だ。目的がはっきりしているほうが好きだ。クズ相手じゃなきゃ甘えられない。どう考えたって、向いていない。

 涙も出ない枯れ果てた心に、水が沁みていく。恋がしたい、と初めて声に出して呟いて、あたしはひとり、ふっと笑った。

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