最後の努力 1年 後藤陽太
平素より大変お世話になっております。学部一年の後藤陽太です。今回の一年生のブログテーマ「入部への思い」に対して自分のサッカー人生を振り返りながら心を込めて書かせていただきました。拙い文章ではありますが、ご一読いただけますと幸いです。
自分のサッカー人生を振り返ると、そこにはサッカーから逃げていた自分がいた。僕が初めてサッカーに触れたのはおそらく5歳頃、正確な時期も覚えていないくらい前のことで、地域の小さなサッカークラブでサッカーをしていた。そこから小中高と部活動に所属し、思い返すと僕のサッカー人生は約15年を経過していた。ただ、幼い頃からサッカーをしていたのにも関わらず、幼稚園・小学校とほぼ遊びのようなサッカーをしていたため周りの実力には到底及ばず、自分よりもサッカーに関心のあった双子の弟にわずかに負ける。双子の弟とは幼稚園・小中高と同じ環境でサッカーをしていたため悔しさを感じつつも、だからといって自分は特に努力をするわけでもなく得意分野に逃げようとするどうしようもない少年で、完璧主義であった当時の僕にとって「サッカー」は話題に出したくもない存在であった。中学・高校の部活動においても、大きな目標もなく漠然と「うまくなれたらいいな」という思いが頭の中をふわふわと彷徨っているだけだった。ただ、中高いずれもチームの仲間たちに恵まれて大会では良い結果を残し、強いチームに所属しているということに安心感を持っている自分がいた。僕はただ周りからの評価を気にして「努力するふり」をしていただけの情けない男だった。
そんな僕が変わったのはおそらく受験期のことだと思う。僕は人生で初めて挫折を味わった。それまでの人生で「挫折」と感じられるほど何かに努力をしたことがなかっただけなのかもしれない。忘れもしない2023年3月9日、志望校の合格者一覧に自分の受験番号はなかった。成績開示を見るとほんのあと一歩だけ届いていなかった。しかし思い返せば、大した勉強もしていなかった中学のノリでなんとなく勉強をし、相対的に勉強をさぼり続けた高校生活を送って3年の秋から必死になって勉強をした自分には当然の結果であった。ただ、最後の数か月間だけは人生で初めて、見せかけじゃない「本物の努力」をしたからこそ心の底から悔しさが湧き上がってきたのだと思う。そこから1年間、僕は志望校を上げて毎日予備校に通い死に物狂いで勉強をした。毎日の勉強記録メモには「横国建築 絶対主席合格」と今までの自分からは考えられないような馬鹿げた目標を掲げていた。ただ、今までの自分の見せかけの努力を洗い流して新しい自分に生まれ変わりたかった。自分で自分を認めてあげたいと初めて思えた時間だった。進路を考えるとともに大学生活への期待を膨らませ、やりたいことが多すぎて人生一周だけではどれだけ時間があっても足りない、と父親に相談することもあった。僕は幼い頃から外で体を動かすよりも絵を描くことやものづくりをすることが好きで、大学では建築学を学ぶことを選んだうえ、美術や音楽などやりたいことであふれていた。幼い頃サッカーから逃げた先にあったものたちである。そんな僕に父は、人生は一周しかないからこそ大事にしたいと思えるのではないか、という言葉をかけてくれ、それからというもの「一度きりの人生で、いつ何をすればすべてを悔いなく終えられるか」ということを考え始めた。そこでたどりついた結論は、美術や音楽などの趣味は社会人になってからや老後にも極めることができるからこそ大学在学中は最後にもう一度だけ本気でサッカーをする、というものであった。この浪人の期間はサッカーのある日常からは離れつつも、数か月に一回は中高のサッカー部の友人たちと集まってサッカーをしたり、夏ごろまでは予備校から帰った後にランニングをしたりしていた。この頃から大学でのサッカーに対するモチベーションは徐々に上がっていた。そんな中、浪人仲間たちと切磋琢磨しながら月日を共にし、迎えた合格発表日の2024年3月7日。待ちに待った念願の「合格」という二文字に泣かされた。結果的には主席どころか現役の時の合格最低点との差よりもわずかな点差であったがなんとか合格をつかみ取ることができ、無事に横浜国立大学に入学することができた。初めて自分の「努力」が報われるという経験をした。
それからというもの様々な新歓に参加するも浪人期の決心は変わらず、最後にサッカーをやりきるためにこの体育会サッカー部に入部した。もうあの頃の僕と違うことは自分でもひしひしと実感している。今までで一番本気でサッカーと向き合っている。何より今までで一番サッカーを楽しんでいる。そんな僕に対して、手厚く丁寧にコーチングやアドバイスをしてくれて、練習後も自主練に付き合ってくれて、試合帰りの電車でサッカーについて熱く語り合ってくれる同期や先輩方がいるこのチームに所属できたことが何よりの幸せだと思う。コーチやマネージャー、アナリストも含め、恵まれた仲間たちのおかげで、自分のサッカーの実力が周りの人の足元にも及んでいないとはいえこの半年で着実に上達してきていると感じている。日に日に「この上達をさらに重ねてもっと上を目指すためにずっとサッカーを続けていたい」という気持ちが芽生えてきたが時はすでに遅く、学業との兼ね合いもあり、あと1年続けられるかどうかというところが現状である。実際に、設計課題が始まっていない今の段階でも専門科目の課題に追われ、ブログの提出が遅れてしまったりほぼ寝ないまま練習に参加して迷惑をかけてしまったり体調不良になり欠席してしまったりしている。本当にごめんなさい。学業との両立が難しいことは身に染みて感じていますが、あと少しだけチャンスをください。
残された時間がわずかながらもひそかに抱き続けている僕の目標は「親友と共に公式戦に出場する」ことである。公開するか悩んだが、浪人期に体感した言霊の力を信じてここで述べることにした。ここに書いた親友とは僕のサッカー人生において一番影響を与えてくれた高校時代の部活仲間である。現役時は大学が離れるかと思っていたが、また同じチームでプレーすることになり、高校時代に見ていた夢を叶えるチャンスがまだ残っていることに希望を感じている。彼は大学でもずっとトップチームでスタメンを張っており流石としか言いようがない。Aチームでずっと待っている彼に対してBチームのスタメンにもなれていない自分にこのような目標が全くと言っていいほど似つかわしくないことは重々承知しているが、僕自身ラストチャンスにはふさわしい目標だと思っている。
逆境の苦味は今まで散々味わってきた。試合に出られないことへの悔しさ、次々と後輩に抜かれることへの情けなさ、Aチームが戦っているのに自分には何もできないことへの不甲斐なさ。もう失うものは何もない。途中でサッカーをやめていれば劣等感を感じることなく新たな才能に気付けていたかもしれない。それでも20歳現在までの人生の大半捧げてサッカーを続けてきて、横国サッカー部の最高の仲間たちと出会うきっかけを得ることができたのは、間違いなく小中高での大切な部活動の仲間たちや、今までのサッカー人生を支えてきてくれたすべての人たちへのおかげである。今まで出会ってきた部活動の仲間たちのおかげで学生生活がかけがえのないものになった。サッカーをする僕たち兄弟の生活を一日たりとも休まず支えてくれた母親や、サッカーの試合があるたびに貴重な休みの時間を削ってプレーの写真を撮ってくれた父親への感謝はひとり暮らしをはじめてからより痛感するようになり、感謝してもしきれない。中高の友人たちや学部の仲間も部活動に所属している自分のことをたくさん気遣ってくれている。僕は周りの人に恵まれすぎている。そんなたくさんの人への一つ一つの感謝の気持ちを忘れず試合結果で恩返しができるように、12番という大切な背番号と共に引退を迎えるその時まで貫き遂げるために、サッカー人生で最後の努力を尽くす。
2024.11.11 後藤陽太