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「サッカーやろうぜ」 3年 木谷竜三

平素よりお世話になっております。
横浜国立大学経済学部3年の木谷竜三です。

あまりに長い夏休みによって発症したオクトーバーブルーが、自分にとって最後の部員ブログを書く気力を奪っているのでしょう。あるいは、今日(10/7)の部活動を終えて疲れているのでしょう。いや、そんな言い訳を並べてみましたが、結局のところ、ものぐさな性格を何かのせいにしたいのです。弱い人間です。

………やっぱり提出を少しでいいので遅らせてもらえませんか?

いつかは書くものなのだから、駄々をこねても解決しません。
自分なりにサッカーに対して向き合ってきたのだから、言葉を飾らずに考えを綴ろうと思います。最後までお付き合い頂けたら幸いです。

サッカースクールの子供達が夢中でボールを追いかけているのを見て、自分も小さい頃からサッカーが楽しいから続けてきたのだと再確認することがある。
それは首脳学年であってもそうだった。純粋なサッカーへの気持ちは今後も変わらないと思う。

この一年間もトップチームの試合に直接関わることが出来なかった。少しは自分への失望もあるし、不甲斐ないとも思う。ただ、幸せなことに出場できる試合もあった。そして首脳学年である自分は自然と試合中に喋るようになった。雰囲気づくりもあるが、味方への指示が増えた。それに伴って、周りに伝えないといけない分、より深くサッカーを考えた。
するとどうだろうか。今まで以上に「考えるサッカー」が楽しくなった。

サッカーは考えることが多い。それは魅力の一つでもある。
一般的なスポーツや、類似の構造を持つゲームと比較すると選手の数は22人と多く、ピッチサイズも大きい。さらには選手が移動可能なスペースに境界や制限がない。そんな条件でそれぞれの個性ある選手が異なる意思決定を連続して行いながら動き回る。非常に複雑なスポーツだ。
その複雑さ故に、プレーヤーに正しい道標を提示する意味で、誰かが抽象的なプレー原則を授けることは多い。優れたキーワードは、それだけでプレーイメージを湧かせてしまうものなのだ。
しかし、プレーヤーはそれを鵜吞みにしては勿体ない。示された道標に、道標以上の価値はない。最終的に収束していく先がその言葉であったとしても、その言葉や概念の持つ領域は自分で確かめていく必要があると思う。そうでなくては、思考が止まり、プレーの幅が狭まってしまう。何より、プレーしている本人が考えないと面白くない。

伝えたいのは「考えるサッカー」を今後も楽しみたいし、みんなにも楽しんでほしいということだ。
改めてとなるが、サッカーは魅力的なスポーツだ。そんなに頭を使わなくても楽しめる。ドリブルで抜けたら楽しいし、股を抜けたら気持ちいい。その単純な気持ちも大事にしたい。
でも、考えて、考えて、深く知れたらもっと楽しくなる

Enjoy Football

横浜国立大学体育会サッカー部3年 木谷竜三

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