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あんパンと炭酸水を抱えて、人との付き合いについて考える

暑さに耐えながら携帯を開くと質問箱に質問が
来ている。その場で答えながら家までの道を
歩いている時に、ある質問が心の何かに触れ、
その瞬間を忘れまいと頭の片隅に入れながら
帰路をたどって今に至る。

人は忘却の中に生きている。家に着くまでに大きな虫に遭遇して慌てふためいていた時の僕の頭には、
さっきまで考えてたことなんて全く認識できていない、昨日見た夢は覚えていない(何かを見たことを朝は覚えていたことは覚えているが)、2時間前に食べた
ものは3秒間出てこなかった。
しかし、今日は忘却についてではない。
このような質問が僕の元に来た。

苦手な人と上手く付き合うにはどうすればいいですか

帰りに質問をまとめて返していたが、
この質問にはどう答えるのが質問者と僕にとって
最適解なのか少し悩んだ。
(運営だったら…この話はおしまいという訳では
ないと思う。きっとフォロワーの誰かはこの
質問に対する僕の回答が目につくはずだし、
この手の話はリアルでかなり知人含む関係者から
聞かれたことがあるし…)

本屋さんに行けばこの手の話が盛り込まれた本は
たくさんある。(ビジネス.自己啓発系エリア)
これだけテクノロジーが発達していれば、今あなたがこのnoteを見ているデバイスで簡単に人の見解に触れることができる。
21歳の僕でさえ感じる。ここ10数年で人々が心の穴を埋めるためのきっかけとなる情報に簡単にアクセスできる、常にそこに繋がっている、便利になった。

この質問に本気でマネタイズを目指した
ソリューションを提供するつもりはない。けれども
一つ思うことは、間違いなくこの質問に対する
答えは世の中に満ち溢れているということ。
まさにレッドオーシャン…どうすればオリジナリティ溢れる答えが書けるだろうかというマインドの僕が
いれば、ありきたりな答えを出した方が人の目に
着かずに嫌われることがないだろうというマインドの僕もいるし、具体性のあるものではなくて抽象度が
高い話をすれば嫌な思いをする人はいないから
楽勝ゲームだなと考えている僕もいるし…
そう、僕の心の何かに触れる瞬間を感じ、そして思考しているときにも複数の眼を持つ自分が議論していたところにもその何かとやらの瞬間を感じたのだ。
今その瞬間とやらを今この瞬間に文字を並べながら
解いていこう…
僕はこのように質問に対して返事をした。

人によって様々な見解があると思いますが(僕の中にも複数個ある)、あえてあまり言われないことを…
"人に好かれること"をまず意識するということが、あなたの望む結果につながる気がします。
一見解答になっていない別ベクトルのような話に聞こえますが、本当に人に好かれている人の大多数は『苦手な人との付き合い方がわからない』とあまり言わないと思います。これは事実です。この事実を踏まえた上でもう一度考えましょう。それでもわからなければまた聞いてください。

最適解を選んだつもりではあるが、もちろん捨ててきたものもあるため、後悔は心に残り続けている。
質問者は具体性のある行動が欲しかったかもしれない…この文章を見て気分を悪くする人がいるかもしれない…など。そこは捨てると決めて、しかし後にはさらに良い方向にするべく、その後悔や予測されるリスクは心に残しているということを皆様に理解してもらった上で話を進める。

この手の話でまず考えて欲しいのは、
なぜ『苦手な人と付き合うためにはどうすればいいですか』という質問をしてくるのか?
簡単である。少なからず、質問者含めこのことで
悩んでいるという気持ちが存在するからである。

ならば次はもう少し掘り下げてみよう。
このようなことを考えてる人たちは心の中で
『苦手な人と上手に付き合うということをできるようになりたい』マインドをお持ちだろう
というところに大体の人が着地すると思う。

では更に掘り下げてみてほしい。
『どうして苦手な人と上手に付き合えるようになりたいと思ったのか?』
ここからは人それぞれ答えが変わってくる部分だろう。人は経済状況や人間関係といった環境から、
自身の健康状態といった環境まで、環境というものに支配されて生きている。
それは一人一人異なり、
複雑に絡み合いながら…

話を戻そう。何が言いたいのか抽象化すると、
課題に対して『何をすべきか??』を最初に持ってくるのも悪くないけれども、課題に対して『何故それをやるべきなのか?』というマインドを間に持ってくることが、良いのではないかという事が言いたい。
というか、言いたかったのであのような回答に
辿り着いた。
あの回答にはいくつかの要素が詰まっている。
why?のマインドはもちろん、既に苦手な人との付き合いや向き合い方の悩みという名の呪縛から解放されている人たちが正解の1つと定義するならば逆算で考えるという要素、人に嫌われないことが自分の力を強くするという要素、人に嫌われることが間違いではなくて別の正解ということ、などなど…
けれども、『何故それをやるべきなのか?』は
他の要素より語られることが少ないと感じたので、
今回はwhy視点を持つということピックアップ。
ここからは具体例に落とし込んで考えてみる。

先ほどの話から行けば、今僕たちがやらないといけないのは、『なぜ私は苦手な人とうまく付き合わなければならないのか?』『なぜ私は苦手な人とうまくやっていこうという気持ちになったのか?』という思考で歩いていくことだ。
僕は就活を思い出す…なぜこの会社でなければならないのか?たまに考えた。きっと同じだろう。
ではなぜ人とうまく付き合わなければならないのか?
ここからも一人一人によって変わってくる(ある程度カテゴライズはできるだろうが…)
しかし一見相違性を感じるもの同士でも、共通しているものがあると僕はみる。
それは苦手な人とうまく付き合えることに良いと
感じることがその人自身の中で何かある
という
ところだと思う。
『僕は仲のいい人としかつるみません!俺の役目はみんなと仲良くすることじゃない!』
『なんで他人に気なんか使わないといけない?』
『私は人見知り、苦手な人なんてさらに苦手…』
腐るほどではないが、かなり聞いてきた。
しかしそのようなことを大っぴらに言っている人
ほど、他人に興味深々、陽キャラやコミュ力の高い
パリピ、人気がある人、誰とでも仲良くしている
"他人"というものに対して嫉妬や妬みの感情があるように見える。
そして自身が持つその感情がネガティヴな嫉妬や妬みの要素を多く含んでいる"嫉妬や妬み"だということに気づいていない。
実は人間の感情で1番恐ろしいのは妬みや嫉妬であると小さい頃から僕は母に言われてきた。間違いなくこの環境下で育った僕だからこそこう見るのだろう。

大事なことがもう一つ出てきてしまった。そう、
自分がその感情に対して正直になるということ、つまりは自身と向き合うことが大事であると僕は思う。
嫉妬や妬みの感情を生んだ自分のその感情に対して
正直になれば、きっと余白が生まれる。
心に余裕ができるとでも言った方がわかりやすいだろうか。
その余白を使って、『なぜ私は苦手な人と上手く付き合いたいと思ったのか?』を考えてみてはどうだろうか?もしかしたらたくさんいる中の何人かは、
僕の考える『人に好かれる』ことが『苦手な人と上手く付き合う』ための手段になるかもしれないし、結果になるかもしれない。そうならなくてもいい。

人生は、今僕が食べている予想量を超える生クリームがたっぷりのあんパンのように未知なことと、今僕が飲んでいる炭酸水のように味気ないものの連続だと
思うから。

20190803 2:57

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