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「言葉」という道具に意識を向ける。無意識の答えを感じ取り「言葉」というラベルを貼る。

みなさま
こんにちは

香と瞑想とコーチング
小林 明美です。


今日は美術館に仏画展を見に行ってきました。

お世話になっている瞑想教師の先生が主宰されている
仏画教室の作品展。


絵に詳しいわけではないので
絵の見方とかはわからないけど

何かその場を離れがたい…
そんな思いになる絵がたくさん。

自分の内側がとても刺激を受けていることを感じます。


絵を見た感想を書きたい…
そう思ってパソコンに向かっているのですが
なかなか上手く言葉が見つからなくて。

誰かに質問されて
それに答える形なら言葉にできていくかも。




そう、最近
内側で感じていることを
なかなか言葉で上手く表現できないでいます。

言いたいことはあるんだけど
それをどの言葉で伝えていいかわからない。

しっくりくる言葉が見つからない
言葉にすると「近いけど違う」みたいな。



そんなこと言いたいんじゃない。

だけど
どう言っていいかわからない。



食レポとかソムリエ氏のワインの表現とか
感じたことを言葉にするわけですよね?

あれってほんとすごいと思う。



以前の私だと
こんなこと悩むこともなく
口先でなんでも表現していた。


もっと頭の中であれこれ考えていた頃…

音も聞こえてたし
匂いもしてた
目で見ることもできてたし
味覚もあった。
何かを触ってるって感覚もなかったわけじゃない。

だけどそれを意識できてないというか

感じ方がむっちゃ浅かった。


そう、例えば
夏の海、ビーチでガンガン音楽かけて
わいわいと楽しんでると
波の音や色
潮の香りなど
感じてるけどそこに意識が行ってない。

そんな感じかな。
(もちろん、いい悪いじゃない)



見たり聞いたり何かを感じてるはずだけど

それより頭の中で
何かをせわしなく考えてて
(ビーチで音楽かかってるような状態)
感じていることに気づいてなかった。



思考から離れた感じる世界の先に
無意識に持っている答えがあるとしたら
それを聞き取りたい。

無意識の声って小さな小さな声。
思考ばかりしてるとそのノイズにかき消される。


静かに静かに。

そう思うようになって
意図的に思考から離れるようにして
感じるを大事にってやってた。


感じることが大切で
言葉になんてしなくていいってさえ思ってたし、

言葉というラベルを貼ってしまうと
そこで感じてることを
固定されてしまう気がして嫌だった。


それを超えて


今は
感じてることを「言葉」にしたいと切に思います。

感じた先の無意識の中にある自分の答えを
自分で理解したい。

自分が何を感じてるのか
言葉にすることで理解が進む気がする。



そのためにはやっぱり「言葉」ってとても便利なツール。

言葉というものがあるおかげで
ふわっと自分が何を感じているのか
自分で理解することができるし、

人と人が理解し合うことができる道具でもあるわけで。



このテーマで書きたいなって思いながら
何度も書けずにいたのだけど

この「言葉にできない」ことを
このところ、いろんな人と喋ってて…

ようやく少し整理がつきだしたのか
今日は文章化できている。

誰かに話すということは
言葉を使って表現してるわけで。
その段階で思考が整理されていってる。


感じるも
思考するも
五感で感じるも
感じたことを言語化するも

どれも自分を理解する上で欠かせない。



浅い気づきで言葉にしてた時から
深く感じたいと思考を離れ
今また気づいたことを言葉で表現したいのに出来ずにいるw

この「浅い」「深い」も
実はどうでもいいことなんだけど。



なんか螺旋階段のようでもあるし
振り子が両極端に振れている状態のようでもあるけど、

今こうやって自分が思ってることを
書いてるのも言葉で書いてるわけで。

言語化最高w



仏画展の中で離れがたい絵があって
思い切って購入させていただくことになりました。
男女の神様?仏様が絡み合ってるお姿。

なぜそんなに惹かれるのか
「離れがたい」のは何故か。

何を感じているのかは
まだ言語化できずにいます。

そのうち言語化できるのでは?
その答えが何なのか自分でも楽しみ。


最後までお読みくださって
ありがとうございます。

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