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コービーブライアント

2年前の今日は、世界中のバスケ好き(無論自分も含めて)が悲しみに包まれた日だ。
そう、今日はNBAの偉大なるスーパースター、コービーブライアントの命日だ。

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あれから2年経ったが、いまだにコービーがこの世にいないという現実を受け止めきれずにいる。そんな一亡霊オタクが彼にハマった話、2年前の今日のこと、そして今思うことを書き連ねていこうと思う。

コービーとの出会い

大袈裟な書き方をしたが、別に本人に直接会ったことがあるわけではない。
コービーブライアントを知ったきっかけは、2009-2010シーズンでレイカーズが2連覇を達成したという新聞記事を見たときだ。そういえば、本場アメリカのバスケなんて見たことなかった、どんな感じなんだろう。気になってNBA好きの友達に見せてもらった。豪快かつしなやかなプレーの数々はあっという間に自分を虜にした。
中学生の時はNBA好きのコーチが試合をたくさんDVDにダビングして部員に回してくれた。僕は迷わずレイカーズの試合を選んだ。2連覇を達成した後のレイカーズなので少しずつ暗黒期に突入していくのだが、それでもコービーが出ればしっかりと見ていた。
引退試合は大学の講義中に関わらずリアルタイムで見ていた。ラスト数分、クラッチタイムの鬼と化したコービーの大逆転劇にリアクションが抑えきれずに怒られてしまった。

引退後も後輩たちにワークアウトを依頼されたり、自身がプロデュースした短編アニメで賞を受賞したりと、やっぱりすごい人だなあと思いながら見ていた。

2年前の今日のこと・その後の反応のこと

2020年1月27日朝、起きてTwitterを見たら普段バスケのことを全く呟かない人たちから

コービー嘘だろ
コービーまじか……

との呟きが相次いでいた。え、なに、なんか犯罪でもしでかした……?慌てて情報を探った。たどり着いた情報はあまりにも残酷で、いっそ逮捕されていた方がマシだったかもしれない。

コービーブライアント ヘリコプター事故で死去

……は?いやいや、ついこないだレブロンの得点記録更新に立ち合ってたじゃん。なんかの誤報でしょ?と思った。しかし、その直後NHKのニュースからもコービー死去のニュースが流れてきた。NHKでまで流れたらさすがに誤報な訳がない。
全身の力が抜けた。自分を最も魅了したバスケットボールプレイヤーの突然すぎる訃報が受け入れられなかった。それでも動揺したのは分かっていたから、普段自転車通勤なのをその日は徒歩に切り替えて通勤した。
いろんな情報を追った。まだ嘘なんじゃないかと心のどこかで思っていた。しかし、残酷なまでにそのわずかばかりの思いも打ち砕かれた。

ラプターズ対スパーズでコービーの追悼の意を込めたセレモニーが催された。特にスパーズは2000年代に常にコービーと西地区の覇権を争ってたライバルチームだ。そんなチームのセレモニーを見て、さすがに現実を受け止めざるを得なかった。
次の瞬間、涙が止まらなくなった。大の大人が歩道を歩きながら野々村ばりに号泣する姿は側からみれば滑稽で仕方なかっただろうが、自分の感情を抑えることができなかった。
さらにいろんな情報を漁るほど、コービーへの各界隈からの思いが見れた。

さらに涙が止まらなくなった。
どれだけ愛されたプレーヤーなんだ。

当然ながら、レイカーズ一筋のコービーがマーベリックスに在籍していたことはない。それでもマーベリックスの名物オーナー、マークキューバンは功績を讃えて24番を永久欠番にした。いかに偉大な選手かを改めて実感したし、キューバンの男気にめちゃくちゃ泣いた

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日付が変わり、寝ようとした寸前に流していた全豪オープン、悪童キリオスがコービーのレプリカユニフォームをつけてウォーミングアップを行なっていた。予想外すぎてまた泣いた。

この日は就業中以外はほとんど泣いていたと思う。感情の行き場が分からなくて、バスケのことを詳しくない友達に電話をかけてぶつけたりした。迷惑をかけてすまなかった笑
また、NBAはおろかバスケットボール界のみならず、世界中のアスリートたちからの悲しみの声や追悼のセレモニーが発信された。本当に、本当に偉大な人だった。
そして、Bリーグのチームの多くも公式Twitterで哀悼の意を表し、その週のナイトゲームでは各地で黙祷が行われた。

日本でこれが見れるとは夢にも思わなかった。現地にいたら泣き崩れて試合どころじゃなかっただろうな。

コービーの名前の由来になったとも言われる神戸市でも、追悼のライトアップが行われた。見に行けてよかった。

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コービーの死後、自分の変化

この出来事の前、私にとってバスケの優先度は割と下がっていた。もちろん誰かに誘われたらBリーグの試合は見に行っていたが、前月まで社会人バスケの活動がない地域で働いていたこと、ライブがより優先すべき事項になっていたことなどが理由だ。
しかしコービーの死後、感情の整理がついてからふと思ったのは「バスケがやりたい」だった。
すぐにバスケができる場所を調べて、チームに入った。学生時代とは比較にならないレベルで体力が衰えていたけど、それでも楽しくやれているし、せっかくやるならもっと上手くなりたいなと思っている。
Bリーグの試合もよく見にいくようになった。まあ島根が強くなったからというのはあるが笑。いろんなチームの試合をみて、レベルの高いバスケに触れて楽しんでいる。

皮肉にも自分にとってのスーパースターの死が、自分をバスケに駆り立てた。こうやって死後もなお、生きる人たちに多大なる影響を与えているコービーブライアントは、やはりとてつもなくすごい選手だったんだなと思う。

コービーは生前、自らの永久欠番セレモニーの際に、娘にこのようなことを話していた。

君たちは、努力をすれば夢が叶うということはもう知っているだろう。それは誰もが知っていることだよね。でも、今夜ここで知ってもらいたいことがあるんだ。朝早く起きて努力しているとき、夜遅くまで起きて努力しているとき、「やりたくない、疲れてる」と思っていても努力するとき。それこそが夢なんだということをね。夢は結果じゃない、旅路なんだ。

コービーは練習の鬼だった。彼は誰よりも早く練習を始め、最後まで練習をし続けた。常によくなろうと。そんな選手だからこそ、史上最高のバスケットボールプレイヤー、マイケルジョーダンと比較されるレベルまで到達した。
このメンタリティ、通称マンバメンタリティこそがコービーがこの世に残した最も大きな功績だと思う。彼のプレー、言葉、姿勢を見るともっと頑張ろうと思わせてくれる。今でも自分にとってのGreatest of All Timeはコービーブライアントです。いつまでも、いつまでも大好きです。

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