原作とアニメの対比と、オンラインの打ち合わせだけで話してた人と実際に会った時の感情

直近数か月は子育ての都合上、基本的にテレワークで働いてる。
こないだの水曜日に久しぶりに出社して、
5月に参画したプロジェクトでオンラインだけで話していた人と初めて対面した。
オンラインの打ち合わせでは少し高飛車に感じていた人と実際に話してみると、真面目で緊張屋であるがゆえ、ファシリをしっかりこなそうとするがゆえに高飛車感が出てしまっていたのだろうな、と感じられて、ちょろいオタクなのでオンラインの印象の反動でむしろファンになるくらいの印象だった。これはあくまで印象なので間違ってる可能性もあるけど、しぐさとか表情とか目の合わせ方とか、オンラインでは拾えない情報が人と一緒に何かをする上での糧というか燃料の一端を担ってるなと思った(腹立つ奴がリアルでは倍腹立つパターンも当然ある)。

などと自分の中に対人コミュニケーションへのポジティブな考えが存在していることをうすら誇らしく思ったところで、『響け!ユーフォニアム3』のアニメオリジナルの話を見聞きした。
私はアニメだけ勢なので原作での描かれ方は X(旧Twitter) などで見かけた限りだけど、原作だと黒江真由さんの人となりや真意について、読者の想像で補う余地がそれなりに多く残るように作られているのだろうと推察している。
アニメに描かれた黒江真由さんも「何がしたいんだこいつ?」感はあり、久石奏さんの憤りも彼女の立場を考えるとわからないでもない感じでもあったけど、嫌なやつだから全国のオーディションで負けてほしいという気持ちになってないのは、随所の描き方にも意図した改変がおそらくあって、黒江真由さんを丁寧に描いているからなんだろうなと思う。それがオーディション直前の黄前久美子さんとの会話で腑に落ちるように作られていて、賛否両論あれど、納得感がある改変になっているとの感想もいくつか見かけた。
仮に、原作に忠実に描かれていたとしたら、どんな感想を抱いただろう。文字だけで描かれていた黒江真由さんの行動や言動が、動きがついて声がついて、表情や言い方が彼女の内側の何かを表現しているかのように錯覚するだけの材料がそろってしまっている状況で、それでも想像の余地を残っていたら何を思えばいいんだろうか。たぶん明示的に何かを思うことはないかもしれないけど、「?」が心のどこかに残ったかもしれない。
動いて話す黒江真由さんに対して、小説を読むよりも多くの情報を受け取って、その情報から私たちは、文字を読むよりももっと大きな誤解も邪推もする。だからより明示的な方向付けと着地は、私たちアニメ視聴者に対して必要な措置だと思う。そういう理由で黒江真由さんの行動の理由を明らかにする描写(再オーディション直前の会話)は必要だったんだろうと思う。

と論じたところで、このポストには特に着地点はないのですが、情報量が多いから補足した結果の改変が起こるんだろうなぁというのと、少ない情報量で人に感情を抱くのは難しいなぁという浅めの感想で締めます。

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