【lovelive】渡辺月という概念

渡辺月はきっと僕たちなんだろう
Aqoursを知ってしまったら
その本気に触れてしまったら
応援せずにはいられない
僕たちがよく知ってる
僕たちしか知らない気持ち―――

この記事について

というわけでですね、
月ちゃんという存在について考えたい。
少しおこがましい気もするけど
描かれた部分が少なかった分、
想像してできる限り考えたいと思います。

人物背景を考える

劇場版からの登場人物である月ちゃんですが、
そもそもどういう人で
どういう状況にあるか考えないことには始まらないですね。
ここが一番おこがましくておしつけがましい、
想像でしかないところですが。。。
まず劇場版冒頭当初の状態でいうと、
静真高校の2年生で、
生徒会長で、
浦の星の吸収合併で、
学生受け入れの準備がありつつ、
父兄の反対を受けていて、
三年生が卒業し頼れる先がない。
。。。
高校生に負担かけすぎとちゃう?
最後の三年生が卒業し頼れる先がない、
っていうのは半分想像で、
三年生なんかいなくてもバリバリできるぜむしろ自由だ!
という人である可能性も否定できませんが、
そう想像した理由もちゃんとあります。

これだけの状況なのに
あんなさわやか笑顔を振りまけるなんて、
すんごい精神だと思いがちですが、
そこはきっと曜ちゃんと同じ悩みを持ってるんじゃないかと思います。
TVアニメ1期で曜ちゃんがマリーに打ち明けた悩み。
なんでも器用にこなすように見えてしまうという悩み。
そして悩んでるのを人に悟らせない優しさのようなもの。

時系列順に追っていく

時系列順にといいつついきなり終盤の言葉を出しますが、
僕らも本気にならなきゃいけないんだ、
それをAqoursが気づかせてくれた
みたいなこと言うわけなんですが、
これって決して今までの人生に本気じゃなかった的な意味ではなく、
浦の星の学生受け入れのためのアクションについて、
ってことだと思っていて。
父兄の反対もあったりするし、
生徒会長の立場上、
今いる生徒の学校生活を守ることが最優先にしなきゃいけないし。
(↑これはことりママがエリーチカに言った言葉だけど)
そんな状況の中で本気で動こうなんてあまりに厳しい。

そんな中で部活動活動報告会に一枠用意するのだって
相当な苦労があったでしょうと想像すると泣けてしまう。

それで結局うまくいかなくて、
月ちゃん自身も悩んだ部分あったんじゃないかなぁと。
前の生徒会長だったらもっとうまくやれてたんじゃないか、とか
三年生に頼りたいけど、もういない。。。とか。。。
そういう気持ちを抱えて、ある意味気分転換も兼ねて
イタリアについて行った部分もあるんじゃないかと。

現地ではイタリア語堪能で大活躍の月ちゃんでしたが、
他にも注目したい場面がたくさんあります。
落ち込むルビィちゃんを名物料理で励ます優しさだったり、
Aqoursってほんといろんな子がいるなぁ、
ってセリフがあるように旅を通してAqoursのことを知っていったり。

印象的なのはマリマザとAqoursが対峙して、
スクールアイドルのすばらしさを証明してみせる!
って宣言しているときに、部屋の中の立ち位置的にですが
Aqours側には立っていないんですよね。
マリマザのようにくだらない!とまでは思っていないはずですが、
でも部活動報告会のときの失敗も見てしまっているし、
少なくともすばらしさを証明できるほどの理解はなかったのかなぁと。

そして三年生が合流して食事を終え、
ホテルのロビーで果南ちゃんや千歌ちゃんが話す場面で、
三年生がいなくなって迷いがあるという千歌ちゃんと、
いつまでもここにいるよ、という果南ちゃんの答え。
その会話を陰で聞いてた月ちゃんも
きっと千歌ちゃんたちと同じように前進できたんじゃないかと思います。
Aqoursも自分と同じ悩みがあったんだ、という共感と
先輩の気持ちは自分の中にいつまでも残ってる、という救い。

イタリアから帰ったあとのボロ校舎の教室で小さく
僕たちも本気にならなきゃいけないんだ
といった月ちゃんを見る曜ちゃんも印象的ですね。
たぶん曜ちゃんはうすうす月ちゃんが何か悩んでいることに気づいていて、
でも前進したことを感じさせることをつぶやいた月ちゃんに
安心というかなんとも言えない気持ちが湧いたんじゃないかなぁ。

そしてBlieve againとBrightest melodyの幻の決勝戦、
迷いのなくなった二組のパフォーマンスを見て、
スクールアイドルのすばらしさを目の当たりにした月ちゃん。
その本気に充てられてじっとしてなんていられない。
わかりますその気持ち。
たぶんこのとき月ちゃんの羽も青くなれたんじゃないかと思います。

その後生徒会長として浦の星のために本気を出して、
生徒たちにも呼び掛けて大きな力になって、
Aqoursのライブを成功させて、
きっとその素晴らしさも伝わって、本気具合も伝わって、
同じ校舎に通えるようになったと思います。
こんなん泣けるわ。

渡辺月という概念

Aqoursの曲で「No.10」ってあるじゃないですか。
作詞家の畑先生のインタビュー読むとわかるんですけど、
それってμ'sのころからある
ファンの中から生まれた言葉であり概念で、
そこに公式側から定義を与えてしまうのは
楽しみ方に枠を作ってしまうようですごく怖いことだと、
畑先生はおっしゃってて。
で、たぶん月ちゃんはそういう意味ももったキャラクターで、
とてもチャレンジングな登場人物なのかなと。
新しくAqoursを知って応援する人が増えていく、
それは今まさに現実に起こっていることで、
Aqoursの成長ってまさにそういうストリームでできてるけど、
それを明示的に描くのは勇気が必要だったかと思います。
ずっと応援してきた人の中には
そういう描き方に寂しさを感じる人もいるかもしれないけど、
でもずっと応援してきた僕たちにも始まりはあったわけだし。

ずっと応援してきたっていうことは
きっとμ'sのころからラブライブが好きで、
そうなると μ's と Aqours を照らして考えたことがない、
なんてことはたぶんありえなくて。
ラブライブの続きだ、とか
μ's はこうだったけど次はどうかな、とか、
そういうことを考えてた時期がきっとあって。
でもそれもいつの間にか Aqours を純粋に応援するようになってて。
μ's を忘れたわけじゃない、でも Aqours の熱量とか
その歌とパフォーマンスそのものが好きになったんだ、
っていう、移ろいゆくことの尊さがこの作品のテーマそのものだし、
月ちゃんという登場人物を依り代にしてファンになるってどういうことか、
というのを思い出させてもらったりしたので、
月ちゃんには感謝したい。

すっかり長いエントリになってしまいましたが、
個人の感想ですので、
みんながみんなの答えを持って生きていってほしいと思います。

よーろーしくー!

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