授業評価

先週で冬学期が終わり、これで一年間の授業は全て終わってしまった。たった一週間に一日だけとはいえ、授業の準備は結構大変だし、終わるとほっとするものである。

あるいは日本の大学でも増えてきているのかもしれないけど、トロント大学では学生による授業評価がある。だいたい、1から5までの5段階評価で生徒が教授の採点をするわけである。評価は学期の最後の週に学生がオンラインシステムに入力するようになっていて、その平均値やコメントが要約されたものが一か月ほどすると教授陣に送られてくる。この評価はその教授の勤務評定の一部として考慮されるし、特に評判の高い教授は学部のティーチング・アワードなどの対象にもなったりする。テニュアをとった教授ならどんなにひどい評価をされようがクビになるわけじゃないから気にしないという人もいる。だけど、一般的には結果が数字となって表れると教えるほうとしてもがんばらないといけないな、という気分になるだろう。この点、学生による授業評価にも一定の意義はあると言える。

ただ、こうした学生から与えられる評点がその授業の本当の価値を偏りなくあらわしているかというと、かなり微妙な問題が多い。だいたいにおいて、学生がその授業の価値を理解するためにはまず彼らが授業そのものを理解する必要がある。授業についてくる努力をしていない学生はそもそもその授業内容がいいものなのかどうかわからないだろう。かりにちゃんと授業を聴いて理解したとしても、その授業が実際にどう役立つのか判断できるかどうかはまた別問題である。まだ仕事をしたことがない学部生にビジネススクールで習ったことがどう役立つかを判断させるというのは難しい、というのは容易に想像できる。

そして、心理的なバイアスの問題もある。最も顕著なのは、学生は自分の成績が良かった科目にいい評価をつけがちであるという傾向だろう。良い成績をとっていい気分ならお返しに教授にもいい評価をつけてやろうというのは人情として理解しやすい。でも、こうした評価はあまり意味がない。それなら生徒みんなにAをあげる教授が一番いい教授だという話になってしまう。以前に勤務していた香港の大学では教授がみんなにAをつけるのを防ぐためかなり厳しい規定があった(授業のレベルごとにAの割合は20%、25%、30%と厳しく決められていた)。でも、トロント大学ではそうでもないのでほっておくとどんどん学生の成績がインフレしていってしまう。(聞く限りでは実際にそうなっているようである。)

他にも、科目が必修科目か選択科目か(必修科目はやる気のない学生も履修するので教えるのが難しい)、大規模の授業か小規模の教室か(一般的に大規模のほうが良い評価は得にくい)など、教員の力量ではいかんともしがたい外的な要因も大きく作用することが統計分析の結果分かっている。

こうした背景があるので、授業評価で5をとるのが良い教授だとは思えない。2とかでも困るだろうけど、学部平均の4くらいがとれていれば十分すぎるという気がする。自分は去年3クラス教えて4.5, 4.6, 4.7の評価だったのでこれ以上上を目指すのは不毛である。

たとえば、今年のクラスではこんなことがあった。宿題でWORDないしPDFに回答を書き、EXCELで計算した根拠を別途添付して提出するようにしているのだけど、一人EXCELの添付を忘れた生徒がいた。宿題の提出期限の翌日に、EXCEL表をメールしてもいいですか、と聞いてきたので一日くらいならいいかと思って許可したのだけど、そのメールには「スプレッドシートを添付します」と書いてあるのに何も添付されていない。なので、「何も添付されていないのでもう一度送ってくれますか」と返事したのだけど、その後何の連絡もないのでこちらもまあいいかと思ってほっておいた。そして一週間後に採点結果を公表したところ当該学生から、シート未提出で減点されているので今から提出したいというメールがきた。でも、この時点で(EXCELのお手本も含めて)正解を公表してしまっているのでこれから提出を受け付けては他の学生に示しがつかないと思って、申し訳ないけどもう受け付けられないし、次回の宿題をがんばれば挽回できるので頑張ってくださいという趣旨のメールをできるだけ丁寧に書いて送った。しかしこの学生は納得いかなかったらしくその後かなりドタバタすることになってしまった。当然こういう経験をした学生はぼくの授業に低評価をつけるであろう。でも、こういうこともあるので、評価平均で5なんて目指す必要はないんだ、と逆に開き直れる部分はある。どう考えたってまともな判断をして社会人として最低限必要な教訓を教えたとしても、それがストレートに授業評価に反映されるわけではないのである。

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