ミシュランへの道 やきとりや人生22
甥からの暴言の仕打ちは、◯さんには非常に効きすぎる過ぎるくらい効き過ぎた。逢うたびに
「なんで?こんなことになったのか?」と
いつも嘆いていた。そりゃそうだろう。同情するしかなかった。
期待のホープの甥にここまで酷い仕打をされたら、誰だってノイローゼにもなるだろう。そんな中、
からだの調子も悪くなる一方で改善の余地がない。
食事たびにインシュリンも欠かさず、食べたいものが制限されていた。
グルメの◯さんには、厳しい日々が続いていた。
それでも体重は減らず、100キロ以上の巨体を維持していた。
どうしても我慢できない時は、食事制限の反動で爆食いしてしまうこともしょっちゅうだった。しかしそうでもしなければ、なんのために生きているか?わからなくなる。
食べるのが趣味の◯さんには苦痛だった。
楽しみのない人生など人生ではない。たとえ明日が命日と宣告されたなら、今日を生きるでしょう?それが短いか?長いか?よかったのか?悪かったのか?一体誰が決めるのだろうか?
〇〇◯の譲渡の話もこの時期に並行していた。
従弟を信用しての譲渡条件だった。
それが、役員報酬として毎月支払うという悪条件だった。一括して◯千万円を要求したが、従兄弟はそれを断り、分割払いを提示してきた。
この時期の冷静沈着な◯さんではなく、非常に弱気で一番大事な決断を相手に言われるがままに、条件を飲んでしまった。
それが他人からみれば不利な条件に見えても・・・
「もうなにもかも捨てて隠居したい」と
いう心境だったのだ。
この案を泣く泣く承諾した。そして正式に従弟の手に店が渡り、◯さんは隠居となった。その後、自分が決めて承諾したこととはいえ、この譲渡はすごく後悔していた。
度重なる甥の不祥事と板長との葛藤。
しかし、その板長もオーナーチェンジと共に退職したのだった。
結局新オーナーと合わなかったからだ。お山の大将の板長は、もうこの店で続けることができなかった。
フロアマネージャーも一新された。甥は当然クビになった。風のうわさでは、知り合いの居酒屋に行ったらしい。
そして、相変わらず北海道の実家では、弟の横暴は止まず、母を人質にしている状況だった。実家に行きたくても、弟がのさばっているので行けない。
母も痴呆がますます酷くなり、
「弟が自分を面倒見てくれている?」という思い込み。
母は弟にぞんざいな扱いをされても、殴られてもケロっと忘れてしまう。だから傷があってもそれがいつどこで傷がついたのか?忘れるらしい。母には、実家から離れられたくないと言う信念だけはあるのだ。
これ以上弟と一緒にいると、いつか本当に危ないことがあるのではないか?という不安な気持ちしかない。だがしかし・・・母がこの状態を望んでいるのであれば、それはしかたがないのだ。そう肩の力を落とす。
もうこの時期になると、
「ご飯を食べに行こう」と
いつも行く場所は、丸亀製麺だった。
従弟はコロナ前に、恵比寿で2号店を出店する計画をした。
この出店を危ないと思い、◯さんは出店を辞めるように忠告したのだ。しかし従弟は忠告を聞かず、恵比寿に出店した。
ある時から、ぷっつりと◯さんとは連絡が途切れ、今現在?どういう状況になっているのか?興味があるが。しかし、コロナ発生の6か月前に出店した恵比寿店は、従弟の経営センスの運の悪さはセンスのない証拠だった。
コロナ禍の状況で飲食店を開業するなど命取りだろう。個人店にとってコロナの影響は死活問題だ。
私は、この状況でミシュランに輝いた〇〇◯を詳しく知りたいとは思わない。
私の中にあるのは、輝いていた頃の〇〇◯しかない。
どんなトラブルも跳ね除けて、荒波を乗り越えやってきた。成功神話を現実にした◯さんは、頂点と地獄を味わった。
「なぜこうなったのか?」
「なんか悪いことした?」と自問自答する◯さん。
年金世代になったが、10年前に思い描いた、夢の悠々自適とは程遠い結果になった。
闘病と自粛生活で現在、地元北海道に帰省した。やはり彼にとって懐かしいふるさとであり、心安らぐ場所だったのだ。
〇〇◯を開業して以来、やっと安らかな時間が訪れたに違いない。
おわり
最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝です。
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