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私の苦手なおばあちゃん

私は祖母が昔から苦手だった。

でもなんで苦手なのかって考えたら、ちょっとわからない。決定的に「苦手!」ってなった出来事があるといえば、ある。5、6歳ごろだろうか、みんなで行ったファミレスで、祖母に「ひとくちあげるね!」と渡したデザートを見事に全部食べられてしまった事があった。そんなことで苦手になるんかい、と呆れるが、食べ物の恨みは深いのである。

昔から静かなところを好んでいた私は、よくしゃべる祖母を苦手だと思った。というか、今書いているのは父方の祖母なのだが、父方の親戚は総じて騒がしい。過去に数回ほど親戚の集まりがあったが、「さわがしいなぁ」という印象しかない。ガヤガヤしているときに、祖母に大きい声で「由有希はほんまに静かやなぁ」と言われて「ははっ」と答え、愛想笑いをした。こっちに振らないでほしいと思った。
祖母の家でみんなで「夜もヒッパレ」を観ていた。当時のヒット曲をタレントが歌うという番組。私は流れてきたジュディマリの「くじら12号」を口ずさんだ。祖母は「由有希はほんまに歌が上手いなぁ」と褒めてくれた。うれしかったけど、大きな声で言ったから恥ずかしかった。私はそこでも愛想笑いでかわした。

でも祖母の家に泊まる時のごはんは好きだった。ちょっと濃い味の肉うどん。出汁に醤油と砂糖をめちゃくちゃ入れるらしい。一緒に並ぶおかずは二軒隣のお肉屋さんで買ったコロッケや唐揚げ。なんて肉肉しい。
朝ごはんはトースト。マーガリンはこれでもか、とベッタベタにつけても怒られなかった。
お正月はつきたてのお餅にきなこや砂糖醤油や菜葉のひたしたやつをつけて食べる。おせちも昔ながらのものでなく、うずらにベーコンを巻いたものだったり、ポテトだったり。子どもの好きなものをこれでもかと出してくれた。

そんな祖母が、今にも死にそうなのである。
ちょっと前までは面倒を見てくれてる叔父さんにめっちゃ電話かけてきたり、ご飯もよく食べてたらしいのに。脳梗塞で倒れて入院。今は点滴のみで生きている。

面会に行った。コロナ禍というのもあったので3年ぶりの対面だった。あのうるさかった祖母が全く喋らない。「きたよ」と言ったらニッコリ笑うだけ。
ちゃうやん。おばあちゃんはもっと「由有希来たんかー!よーきたねー!」ってうるさかったやんか。なんでそんなしおらしくしてんの。わははって笑ってや。

祖母を見たら寂しいとか悲しいとかより、ちょっと怒りが強かった。喋らない祖母に対してと、「苦手だから」という理由に、コロナ禍だからという理由をプラスして、会いに行こうともしなかった自分に対してだ。

合わない人とは会わなくていい。そんな事を思いはじめたのはいつ頃からだろう。大人になってからかもしれないし、小さい頃から無意識にそうしてたかもしれない。私はこの考えで自分を守ってきた。たぶんそれで今もなんとか生きている。
それでも、自分のおばあちゃんもその対象に入れてしまっていたのは違った。暴力を振るわれていたとか、ひどい事をされた訳ではない。そんな事をされていたら「逃げろ!」というべきだけど、私の場合は絶対違う。ただ、なんとなく苦手なだけ。本当に後悔した。

それから何度か面会に行っている。その度に祖母はなんか元気になっている気がする。顔色も良くなっているし、舌は回らないけど何かを喋っている。脳梗塞の影響で動かないとされていた左手で握手もした。
いいぞいいぞ。そのまま元気になってよ。そんで濃い味の肉うどんのレシピ教えてよ。また「くじら12号」歌うから褒めてよ。うるさい声でまた名前呼んでよ。そしたら謝らせてよ、会いに行かなくてごめんって。

私は勝手に祖母は死なない人だと思ってた。死とは結びつかないくらい明るい人だ。けどそんな事は絶対なくて、やっぱり人は死ぬんだね。それはわかった。わかったよ、でも、まだおばあちゃんも諦めてないんでしょ?
元気になってきている祖母を見ていると勝手にそう思ってしまう。そう思うのは祖母にとってはどうなんだろう。本心はわからない。でも、わたしの勝手すぎる思いとしては、もう少しがんばってよ、である。

また来週もお見舞いに行く。再来週も行きたい。ずっと行くよ。待ってて。

なんや、私、おばあちゃん大好きやんか。

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