ばあちゃんはいつも見守ってくれた。
先日、祖母のお通夜・お葬式に参加した。
飛行機で実家に向かうまで祖母が亡くなったという実感は感じておらず実際に棺の中に入った祖母を見るまでは悲しみや実感は湧かないのだろうと思っていた。
空港から直接葬儀屋さんのところに向かい母と叔父が一緒に祖母と寝ている部屋に入った。棺の中を覗き込むと祖母が眠っていた。
つい最近の正月には笑顔で僕と話してくれていた祖母。料理まで振る舞ってくれて僕の最近のことやこれからのことを質問しては全て肯定してくれた。
そんな祖母が亡くなっている実際を見ても「あー、本当に死んでるんだ」と思ったが涙は溢れることなく、ぼーっとするような感覚になっていた。
兄弟たちは通夜や葬式の最中、涙を流しながら祖母を弔っていたが僕は涙は流れなかった。死ぬ時、苦しかっただろうなあ、遺影の写真綺麗だなあ、とぼーっとしながらお経を聞いていた。
火葬まで終わり、祖母の家の掃除を少しだけして僕は実家から帰ってきた。
ばあちゃんは亡くなったけど、これからも僕のことを見守ってくれているんだろうなあと帰りの空港からの帰路、ふと思った。
ばあちゃんと会うのは僕が実家を離れてからは毎年正月の時だけだったけれど、いつだって見守っているという姿勢のままだった。
ばあちゃんが生きていて家族ラインに登場してきた時も見守ってくれているような内容のメッセージを送ってくれていた。
僕にとってばあちゃんはいつだって見守ってくれる存在で、僕は年に1回僕の元気な顔を見せてお腹いっぱいばあちゃんのご飯を食べるだけでよかった。
これからはばあちゃんに顔を見せることはできないけど絶対に正月は毎年墓参りに行ってこれまでしてきたルーティーンを続けたい。
ばあちゃんが最後に家族に向けて残したメッセージの相手は僕だった。
”日本に帰ってきたのね。いっぱいご飯食べなさい。”
といった内容だった。
僕はいつも見守ってくれるばあちゃんのいう通り、ご飯をたくさん食べる。
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