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「描く」ことでのリフレクション

思えば、手紙好きの祖母の隣で、小さい頃から飽きもせず、私は毎日のできごとを振り返り、日記をつけていた。

いい大人になった私の毎日の仕事も、「言語化」によるリフレクションで溢れている。こういうのって、三つ子の魂…なのか。

でも、「描く」ことが最近おもしろくなったので、いつものオンライン料理教室の子どもの様子を思い出しながら絵にしてみた。
もちろん、現場では「まな板どこ!?」「ごま油がこぼれた!」などが勃発して、優雅にスケッチどころではなく、様子を写真に何とか収めて、後で思い出しながら、敢えて絵に描きうつしてみる。

すると言語化とは違う「リフレクション」(自分の体験というより観察学習)が働くことに気付く。

「こんな表情するようになったんだな」

みたいな、当たり前すぎて見逃していることの発見もあれば、

「ここで思うように包丁で切れずに、悔しがってたな…今度もう1回一緒に切ってみようかな」

など、その瞬間はそう思った気がするけど、すぐに霧と化した思考の破片を思い出すこともある。

描く行為は、時をゆっくりと進めたり、ゆっくり巻き戻したりして、味わえるのか、と今更ながらに発見。携帯にひたすら溜まっていく写真をみながら、たまには自分の手で「体験」の輪郭をなぞってみるのもよいかも。

人に伝える技術を学ぶ日々だけど、誰のためでもないもの、もいい。

相変わらず、料理教室は楽しくて、旬のカツオが惜しみない量送られてきて、たっぷり漬け汁に浸された後に食べるどんぶりは、抜群においしかった。

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